経営学の自縄自縛。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:前回に引き続いて、理論より仮説が重要なことを考える。となると、経営学は意味があるのだろうか。トップ画はhttps://x.gd/7OXW0
理論は思いつきに如かず
経営とはスピードであり、タイミングです。
理論が証明されるのを待っていては、チャンスを逃します。
理論が正しいことを証明するのに、半年かかるとするとその間に世界の情勢、市場の状況なんてすぐ変わっちゃうでしょう。
それならば、生煮えであっても、仮説を実行すべきなんです。
証明できたら、世の中がすべて変わっちゃっていて、その理論は使えなくなってしまった。
こんな笑えないことが、今後はどんどん起きてきます。
仮説はハラから生まれる
精神を動かすのは肉体=ハラである、などと先日申し上げました。
思うに、仮説がひらめきだとすると、それはハラから生まれるのではないでしょうか。
ひらめきとは、変化をあなたの全存在で捕まえた結果だからです。
それは頭で考える理論より、変化を的確に捉えているからです。
きのうの新浪さんの言葉は、まさにそれです。
「感覚的なアイディア」とは、まさにひらめきのことです。
もう一度引用してみましょう。
経営理論に意義があるのか
だから、頭で考えた経営理論なんて、これだけ秒速で変化が起こっている時代に時代遅れであり、「張り子の虎」なのではないでしょうか。
じゃあ、お前の存在意義なんてないじゃん!
うーっ、自分で言って自分で突っ込んでいるけれど、そんな正論を言わないで!
そのとおり、です。
僕がnoteやっているのは、せいぜいその罪滅ぼし、なんです。
だから学生には、正直に白状してるんです。
「経営学って変化とは何か、を勉強することなんだ。だからテキストはリアルタイムの世界の動きでなくてはならない。授業では最新の理論を紹介するけれど、それは数ヶ月前に誰かが唱えたもので、もはや古い」
「古い理論もそれなりに考えさせられるし、考えることこそが『経営学的頭脳』を養うことに通じ、それこそが経営学の学習だ」とか、詭弁を言うのも忘れないのですが、語るに落ちているとはこのことです。
だから、苦し紛れに「お前ら、授業なんて出ないでいいから、野呂のnoteだけ読んどけ」なんて言うんですけどね。
野呂 一郎
清和大学教授