国際プロレス消滅は日本経済衰退の一因だった?
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:一度確立したブランドは、プロレス団体であれ、お菓子であれ、アパレルであれ、一生使える、だからなくしてはいけないという提言。国際プロレス消滅秘話。
プロレスがつまらない
つまらないなあ。プロレス。
新潟プロレス以外、面白くない(笑)
これは、昭和のプロレスファンの単なるジイさんのノスタルジーでしかありませんけれど、結構共感してくれるプロレスファンがいるんじゃないかなあ。
「今のプロレスが面白くないんなら、何が面白いんだよ」、そう言われますよね。
典型的な答えは、昭和のジャイアント馬場、アントニオ猪木の全盛時代とか、タイガーマスクとなりますが、僕はあえて「国際プロレス」と言いたいんです。
国際プロレスは1966年設立で1981年解散した、いわゆるプロレス三団体時代(全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレス)の一角をになったプロレス団体です。
ラッシャー木村、グレート草津、ストロング小林、マイティ井上、寺西勇などの個性派レスラーが揃い、海外からは鉄人ルー・テーズ、神様カール・ゴッチ、ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアント(当時はモンスター・ロシモフ)、バーン・ガニアなど、そうそうたる顔ぶれが集い、TBSで毎週1時間ゴールデン帯での放送もあり、まさに一世を風靡した存在でした。
上の動画は、ルー・テーズがレフェリーをやっています。
文化消失は経済消失である
いや、この連載は経済論評ですから、プロレスどうのこうのの話はここでやめましょう。
僕が今日言いたいのは、「文化の喪失は社会の損失、だから一度ファンがついたものはプロレスだろうが、お菓子だろうが潰すな」ということです。
国際プロレス消滅は、惜しかった、もったいなかった。
それはまごうことなき、文化だったからです。
三団体時代、全日本にも新日本にもない、独自のプロレスを展開していました。
金網デスマッチ、がそれを象徴していました。
今の時代のデスマッチは危険な凶器をこれでもかと使われ、エスカレートする一方です。
国際プロレスのデスマッチは、金網で囲ったリングで両雄が死闘を繰り広げるだけですが、それがなんとも今思い出すとシンプルでよかった。
馬場や猪木のところには絶対来なかった、”人間風車”ビル・ロビンソンも、国際プロレスの文化を創り上げた功労者です。
若気の至りじゃすまない
かつてエースのラッシャー木村がアントニオ猪木に挑戦をぶち上げた時、猪木がラッシャー木村に「腹の出てるレスラーはレスラーじゃない」と痛烈な一言を浴びせたことが有名になりました。
しかし、いま僕は、猪木の言葉に同調した自分を恥ずかしく思います。
あのちょっと腹のでた、いわゆるアンコ型の体型こそが、古きよきプロレスラーだったのです。
アントニオ猪木は当時プロレスファンの神だったので、今思えば、彼が国際プロレスを見下したような発言をくりかえしたことも、国際プロレスが潰れた原因だと思います。
馬鹿でした。
人も組織も亡くなってから、その良さがわかるんですね。
そうなんです、いまさら、国際プロレスの良さを嘆いても仕方ないんです。
僕が潰した一人でもあり、反省しています。
文化は帰ってこないのか
明日のこの連載で書くつもりですが、いま、なくなったブランド、つまり売れずに潰れてしまった製品を、オンラインで復活させようという試みが欧米の投資家の間でブームです。
国際プロレスは、サービス業なので、当時インターネットがあったにせよ、それはできません。
しかし、思うに、一度確立したブランドを引っ込めるのは、今も昔も正しくないんだと思うんです。
それは、ファンを失うこと、そして文化を失うこと、だからです。
何十年にも渡って存続してきた国際プロレス。
ファンは今でもたくさんいます。
そして、今は絶対に蘇らない国際プロレス独自の文化。
当時は経営学も、"目に見えない資産intangible asset”なんて概念はなかったんです。
でもいまはソフトの価値が見直される時代です。
国際プロレスの価値は、復刻DVDの中に閉じ込められているだけです。
なんとか、潰さないで存続させるてだてはなかったんでしょうか。
ファンという経済価値、文化というもっと大きな価値を失うことは、やってはいけない経済行動である、今更ながらにそう思う次第です。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー