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エンタテイメント経営学の切り札としての「ケース・スタディ」のすすめ。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ケース・スタディこそ、実は最高のエンタテイメント経営学だ。なぜならばケース・スタディが「自主性をかきたてることが『高揚感』につながるからだ。トップ画はhttps://x.gd/4awS7
エンタテイメントという誤謬
昨日、エンタテイメント経営学のススメ、みたいなのをぶっ放したんですけれど、皆様は違和感が残ったのではないでしょうか。
それは、「エンタテイメントなんて言うけれど、人間の面白い、楽しいなんて感覚や感性は人それぞれなんだから、『これがエンタテイメントなんだぞ!』なんて言ったって自己満足に過ぎないだろ!」というわけです。
はっきりいってそのとおりだと思います。
特に若者を相手にする場合、どうしてもジェネレーションギャップみたいなものがあり、ぼくも20年前若者とトシが近かった時代のほうが、授業のウケがよかったように思います。
さて、きのう、そのエンタテイメント経営学でいい忘れたことがありました。
エンタテイメント学問とはわかりやすいこと、面白いこと、と申しましたが、それはあくまで学問をオファーする側が思っている「わかりやすいことであり、「面白いこと」に過ぎません。
そして、根底には学問というものがなければならず、ウケればいい、という講義では、お笑い番組と変わらなくなってしまいます。
では、本当のエンタテイメント経営学とは何でしょう?
それは「高揚感」だと思うんです。
ほんとのエンタはケース・スタディにあり
「高揚感」って何かって言うと、他から与えられるものでなく、自分で掴みに行って得られるものです。
それは、学問に自分で積極的に参加して獲得できるものです。
夢中になって、考え、他の参加者と討議し、熱く舌戦を戦わせ、ああでもない、こうでもないと積極的にプロセスに関わり合う、その喜びが「高揚感」なのです。
「高揚感」の反対語は「退屈」です。
高揚感とはエキサイトメント、と言い換えてもいいです。
エンタテイメントのニュアンスは、押し付けがましさがありますが、高揚感ならば文句は出ないでしょう。
なぜならば、それは自ら感じるものだからです。
じゃあ、そんな高揚感を感じさせる経営学があるのか?
あります。
ケース・スタディ、です。
案外知られてないケース・スタディ
ケース・スタディはハーバードビジネススクールで50年ほど前から始まったとされる経営学教育とされ、企業の経営ストーリーを元に、5人ほどのメンバーが課題を決めて、討議し、結論をまとめるものです。
教師がリーダーを務める場合もありますが、多くはオブザーバー、監督の役割です。
でも、教師は調整役であり、適宜アドバイスを与えて、スムーズなプロジェクトの進行を助ける役割があり、最も重要な存在です。
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ここで大事なのは、メンバーが「ケース・スタディやりたい」「この課題すごく興味がある」という熱意があることです。
僕はアメリカとヨーロッパで、ケース・スタディの実践と教育を経験してきましたが、熱心に参加しない学生は一人もいませんでした。
日本の大学教育の欠点は、そこです。
「やる気がない」という一点です。
受け身の教育のままでいいのか
でも、それは学生の責任でも、教授陣の責任でもないのです。
「座学」というシステムそのものにあるのです。
座学、つまり、教師が一方的にしゃべり、学生は質問もせず聞くだけ。
興味のある内容なら聞くでしょうが、そうでない学生はサボるか、寝るかのニ択です。
国家的損失です。
教授たちには、面白くないことを、面白くするなどというスキルもないし、そうした努力などしていません。
なぜならば、教授になるためには、学問的な小難しい論文や本をたくさん書かなければならず、教育の質などというのは求められないからです。
もともと、エンタテイメントなどということは、邪道だと思っている方々ですからね。
そこへ行くと、ケース・スタディはその正反対です。
いやでも、学生が主体的に取り組まないとならないのです。
そこに喜びがあり、以下のプロセスを通じて、嫌でも「高揚感」が生まれてきます。
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それは、自らが主体的に関わるということが、学問にせよ、何にせよ、人間の喜びの根源だという普遍性から来ているのではないでしょうか。
チームリーダーは、各メンバーにまず調査の割当をします。
例えば、その企業のリーダーのリーダーシップを課題にするのであれば、Aにはリーダーシップ理論の概要を命じ、Bにはそのリーダーの人物を調べさせ、Cには、最近のリーダーシップについてのメディアの記事を渉猟させます。
そして、議論が始まります。
学生は人の意見に耳を傾ける、自他の意見を比較する、という心的態度を手に入れます。
他のメンバーを観察し、議論の進め方やひとを説得するやり方の巧拙も学ぶことができます。
チームワークがないと、いい結論はでないので、自然にチームの調和や協調も覚えます。
グループごとの発表がケース・スタディの締め、ですが、ここで参加者の「高揚感」はマックスになるのです。
ケース・スタディの効果性については、また改めて書きますが(なんどか過去noteで書いていますが)、ケース・スタディというシステムの中では、人間は自主性とやる気をかきたてられ、それが高揚感につながる、いやそうならざるを得ない、ことを指摘したいと思います。
本当のエンタテイメント経営学は、ケース・スタディにあり、です。
社会人をケース・スタディで高揚させ、企業の発展につなげよ
でも、日本の大学、大学院にはどこもケース・スタディをやるところがないんですよ。
でもそれはわかります。
僕のように海外のビジネススクールで学んだ教員はままいるのですが、大学の4年間では、せいぜい経営学の基礎を教えるのが精一杯で、カリキュラムに取り込めないというのが一つ。
もう一つは、学生や大学院生はほとんどが社会人経験がないので、ケース・スタディを実践するにあたっての基礎条件が欠けているからです。
では、ケース・スタディが最も効果的に機能するのは、だれか。
そうです、社会人です。
でも、社会人に教えることは大変です。
まず、テキストを作る必要があるからです。
もちろん、ケース・スタディは基本的にハーバードビジネス等権利を持っているものから、買う、んです。
参加人数×30ドル位とられた挙げ句、古いあなたの会社に関係ない分野のテキストだったりします。
それでも、十分に学習効果はありますが、やはり、企業がケース・スタディをやろうと言うならば、自前のテキストを創る必要があります。
それは、ケース・スタディを監督する教員が、企業に取材に出向き、経営者や人事担当者と教育目的を定め、テキストに詰め込むべき面白い情報を決めて、テキストを編む必要があります。
そこまで手間を掛けなければ、ケース・スタディの本領が発揮できないでしょう。
僕は、新潟の企業ニ社に対し、これを行い、テキストを公にしています。
英語版もあり、これはれっきとしたヨーロッパのケース・スタディ学会から認可を受けて、カネを取れるようになっています。(笑)
この英語版に関しては、僕の企業世界戦略のかなめになっているシステムで、また後日説明しますね。
エンタテイメント経営学とは、プロレスにあらず、ケース・スタディである、というお話でした。
野呂 一郎
清和大学教授