プロレスのレフェリーという様式美
裸電球が似合う場末のリング
見せるシステムのプロレスは、興行が行われる地をえらばない。
リングを囲む光景は、一服の絵のようだ。
都会の大会場のリングは華やかだ。
田舎のボウリング場広場特設リングも、でも、捨てがたい。リングは設営中にその土地のにおいを吸収し、土地の文化に同化し溶け込む。まるで昨日までずっと一緒にいたかのように。リングを照らす裸電球のてらいのなさが、縁日のようなムードを醸し出す。
都会の会場のリングはまぶしい。四方から照明がリングに放たれるからだ。リングを照らす照明も様式美だ。観客がよりレスラーの肉体と動きを堪能できるように、またTV中継の映りを良くするためという実利もある。
照明のおかげで時にリングは40度以上にもなる。レスラーたちはよけいな美の演出というもう一つの敵とも戦っているのだ。
美の演出家としてのレフェリー
リングに上がるのはレスラーだけではない、試合をさばくレフリーも必要だが、レフリーという存在も美の仕掛けなのだ。
レフリーはレスラーの美を引き立てる役割なので、レスラーより立派な体格をしていてはならない。レフリーは必ず黒と白の横縞が入ったシャツと黒いズボンという、ひと目でレフリーとわかるいでたちが決まっている。自己主張はその定形的な様式の中に封印される。
しかし、その地味な様式美は主役を引き立てるためだけにあるのだが、その簡素な様式だからこそ生まれる美もある。
その見本が、プロレスの歴史で最も称賛されたレフリー、”レッドシューズ”ドゥーガンだ。そのキビキビした動き、レスラーの動きを邪魔しないポジション取り、正確な反則の見極め、本部席に勝者を伝える仕草などなど、独特の美をリングにもたらした。
ニックネームの“レッドシューズ”とは、トレードマークの赤い靴から来ている。ドゥーガンこそ、プロレスといういわば鬼っ子のジャンルに規律という美を与え、プロレスをギリギリスポーツと言わしめた立役者だ。
日本のファンには1975年蔵前国技館で行われた世紀の名勝負、アントニオ猪木対ビル・ロビンソンを裁いたことでも知られる。
あの試合ほどプロレスの力と技という様式美を満天下に見せつけた一戦はない。ドゥーガンが両者の美を引き出したのだ。
この試合を見ていたメルボルン五輪銀メダリストでアマレス協会副会長の笠原茂氏が、両者の高度なテクニックの応酬に舌を巻いたと、当時の東スポは伝えている。プロレスを快く思っていなかった笠原氏は、この一戦をきっかけにプロレスの見方を変えたと言われている。
本格派のレフェリーを育てよ
プロレスのレフリーといえば、日本プロレス時代の沖識名みたいに、レスラーにシャツを破られて反則負けをコールしたり、ミスター髙橋みたいにタイガー・ジェット・シンの反則をわざと見て見ぬ振りをしたり、全日本女子プロレスの阿部四郎(下)みたいに、ダンプ極悪軍団に加勢したり、時としてプロレスの競技性に疑問符を投げかける所作がクローズアップされやすい。
しかし、このレッドシューズ・ドゥーガンは、そのレフェリングが試合を邪魔するどころか、引き立てたという点で、プロレスの見せるシステムに深みを与えたと言えるだろう。
プロレス界は第ニのドゥーガンを育てなくてはならない。
しかし、ドゥーガンが裁くに値するレスラーがどのくらいいるか。このことこそ、プロレス界の最大の課題であろう。
今日も最後まで見てくれてありがとう。
じゃあまた明日。
野呂 一郎