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テクノロジー・ドリブンじゃなくて、「こころドリブン」の時代。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:宮本武蔵は是か非か。技術より心術って何。戦いのコンセプトとは。殺人アルゴリズムってなんだ。こころドリブンの時代。
明鏡止水
高校生の皆さんこんにちは。
きのうテレビで明鏡止水(めいきょうしすい)って番組をやっていたので、何か見てしまったよ。
![](https://assets.st-note.com/img/1674733082667-TehX88Wt9S.png)
明鏡止水とは言ってみれば、心が澄み渡り無になる境地のことだ。
空手の型に明鏡(めいきょう)というのがあるが、どうもそこから来ているらしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1674733177959-zPATONvhd1.png)
そう、この明鏡止水という番組、武道の理を現代によみがえらせるというコンセプトの番組だ。
きのうは、宮本武蔵特集だった。
無敵を誇った武蔵独自の二刀流は、日本刀の長剣と脇差(わきざし)というそれより短い刀剣を使う。
武蔵の剣術を蘇らせる演武は、見事だった。
ほかに忍術や合気道、杖道の達人なども出てきて技を披露していた。
戦国武将の本音
面白かったのは、各武術の心得というか、戦いに対する考え方だ。
宮本武蔵は勝つため、だという。
これに対して忍術は「逃げること」だという。
戦いは勝つことでなくて、身を守ることだというのだ。
だから逃げることは、合理的な思想となる。
各流派の戦いに対する考え方を聞いて、僕は学生時代やっていた糸東流(しとうりゅう)という流派で稽古の後によく唱和させられた、「空手道十訓(からてどうじゅっくん)」を思い出した。
たしかその十訓のその1は、「技術より心術」という言葉だ。
「心術」とはいろんな解釈ができるだろうが、まさにその「戦いに対する考え方」、だと思う。
ぼく個人としては、宮本武蔵の「勝つこと」、より、忍術の「生き延びる」方がすきだな。
そもそもなんで、戦なんかしなくちゃなんないんだよ。
友人のY氏に米留学中にカセットでもらってなくしてしまった、ある歌がある。
ネットで蘇ったので、この部分だけ、いや全部聞いてみてよ。武将たちの本音が歌われていて、すごく面白いよ。
https://www.uta-net.com/movie/33919/
フフ、僕が聞けっていう部分は(2分27秒)、
「♫戦が人生なんて、なんて虚しい人生だろうぅ♫」ってとこだよ。
この歌じゃないけれど、戦わずして勝つことこそ、いやそもそも戦わないことこそが、人間としての在り方なんじゃないか。
どうも最近NHKが大河とかで戦国武将を持ち上げるのが、気に入らないよ、ぼくは。
武将たちはある意味では大量虐殺者に過ぎないからだ。自分の権力を誇示したいだけのために、人を殺めても平気な人たちだ。
なんだか日本人って「戦争」って言うと顔をしかめるくせに、「合戦」っていうと、命の奪い合いなのに、ウキウキしはじめてああだ、こうだって観劇を楽しむモードになっちゃうんだよね。エンタテイメントちゃうわい(笑)。
宮本武蔵も剣の達人だったかもしれない、いや、たしかにそうだった。
しかし、なんでそんなに人を斬ったんだよ。斬らずにすんだだ戦いだってあったはずだろ。
幼稚なことを言っていると、キミは笑うだろうが、心術っていうのはこういうことを考えること、だ。
戦って勝利を収めるのは技術、しかし、心術というのは「殺すべきなのか」を考えることなんだ。
もっと哲学的なものなんだ。つまり勝つ前に、戦うとは何か、人を殺すとは何か、殺していいのか、を考えることだ。
心術とは何か
糸東流の「技術より心術」という言葉は、いろいろに解釈できる。
例えばキミの目の前で、刃物を振り回している暴漢がいるとしよう。
心術とは自分の力量を考えて行動することだ。生兵法は怪我のもと、と心得ることだ。
しかし、目の前でその暴漢が女性を刺そうとしていたら、どうする。
キミが空手の心得があって、いま前蹴りを金的に放てば、相手は刃物をおとすかもしれない。
でも、相手の刃物が一瞬早くキミの脇腹に届くかもしれない。
大怪我すれば仕事ができない、死んじゃったら妻が子供が不憫だ。
そんなことを武術の心得がある人なら、常日頃考えているはずだ。
これも心術だ。
合気道は、技術に心術がすでに組み込まれているともいえる。
![](https://assets.st-note.com/img/1674733800778-SZabmSeR2t.png)
すべての技が受けから始まり、攻撃されたらその攻撃のパワーをすべて相手に向け、悪を制する武道だからだ。実際に剣や短刀を使って稽古することもある。
現代における心術とは何か
今日言いたかったのはこれだよ。
現代はテクノロジーがすべてに優先する時代だ。
IT、デジタル、AI、データドリブン、アルゴリズム。みぃんなテクノロジーの別名だ。
しかし、技術より心術なんだって。
アルゴリズムは宮本武蔵の剣みたいによく斬れる、でもそこに心術は、こころはあるのか。
カネが儲かりゃいいのか。人が死ねばいいのか?
そうじゃないだろ。
人を活かし、世の中をよくする「活人剣」じゃなくちゃだめだろ。
ウクラナイ戦争が答えじゃないだろ?
でも、現代は心術が存在せず、「勝てばいい」テクノロジーだけが我が世の春を謳歌しているんだ。
殺人アルゴリズムの恐怖
僕の好きな本に、Techinically Wrongという本がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1674733961609-1ECSDJ7y1T.png)
これはDX(デジタル・トランスフォーメーション)だとかと言われる、データ全盛時代の現在に警鐘を鳴らす本なんだ。
この本はまさに、現代における「技術より心術」、ということの真実を解き明かした本なんだ。
本の詳しい内容はまた改めて紹介するけれど、この本にはこんな例が出てくるんだ。
ある犯罪多発地帯で警察が、データサイエンティストに頼んで、効率的な犯人検挙のアルゴリズムを作らせた。
しかし、そのアルゴリズムで捜査したところ、無実の逮捕者ばかりでたというのだ、それも黒人の。
技術的には正しかった。しかし、問題はアルゴリズム作成者の心だったのだ。
それは、黒人=犯罪者という拭い去りがたい偏見があったことだ。
僕は言いたい、テクノロジー・ドリブンな現代に必要なのはデータサイエンスだとかみんな言ってるだろう。
違うって。
テクノロジーを使う前に、こころを見つめろ、と。
データドリブンじゃなくて、「こころドリブン」の時代なんだ。
予言するよ、これからの時代はどれだけ科学が、テクノロジーが正しくても、こういうことになる。
・ユーザーのプライバシーを犯していたらテクノロジーは使えない
・女性不在の取締役会は解散
・LGBTQを認めない工場で作った製品は廃棄処分
・多様性を綱領で謳わない企業は上場できない
一応今日はここらへんでやめておくけれど、明日またこの続きをやる、かも。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。
じゃあ、また明日会おう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー