現場の力こそ日本の力。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:フォード流大量生産vs日本流ジャストインタイム方式。日本のものづくりを担う生産現場は終わったのか。80年代日本を活き活きと描く映画「ガンホー」紹介。日本の強みはまだ生産現場にあり。上図のURLはhttps://qr.quel.jp/pv.php?b=3c2Bv3S
おごり、が日本をダメにした
大量生産の原点であるT型フォードが発売されたのが1908年、近代的自動車生産の歴史はすでに1世紀を超えます。
しかし、そのアメリカの象徴ともいうべき、オートメーションが日本に押されていた時代があったのです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンなどとおだてられていた、1980年代でした。
世界も、「日本の時代」などと盛んに日本を持ち上げていました。
日本のその後の現在にまで及ぶ30年間の停滞は、この頃ほめ殺しにあって、おごったことが原因と指摘する人もいます。
その頃の日本を活写した映画があります。
1983年制作の映画「ガンホー」です。
アメリカの小さい自動車会社の社長が、日本のおそらく日産を模した”アッサム自動車”との提携、子会社化を懇願するために”日本詣で”をくりかえし、日本からの援助を獲得したはいいが、日米のビジネス文化の違いに悪戦苦闘する物語です。
さて、僕は国際経営学の授業では必ず、このガンホーという映画を学生に見せるんですよ。
日米の価値観、ビジネス文化の違いを、これでもかと描写しているからです。
映画はまず日本の会社の大声を上げさせる精神特訓から始まり、日本のサラリーマンが、頭に鉢巻をまいて寒中水泳のシーンが続きます。
アメリカ流の合理主義とのギャップを際立たせる演出です。
劇中に出てくるアメリカ人の働きぶりは、陽気で楽しいのに、日本人は陰気で苦しく、上司との関係はアメリカは友達、日本では奴隷、このコントラストが過剰に描かれています。
日本の形式主義、集団主義をおちょくっているんです。
映画が作られた1983年と言えば、”日本的経営“が世界を席巻していた真っただ中です。
この映画はまさに”弱者“アメリカが”強者”日本に吠える、「そんな自由を侵害されなきゃ、モノを創れねえのか」そんな暗喩がたっぷり込められている、そのようにみることもできましょう。
日本人の管理者が米国のそのこ会社に赴き、朝、全員を集めてラジオ体操をさせようとするのですが、誰一人やろうとしない。
そこで主人公のアメリカ人工場長がみんなをなだめると、しぶしぶ体を動かす、この場面に日米ビジネス文化のギャップ、というメッセージを強烈に感じました。
カンバンシステムはもう通用しないのか
それから40年、気になるのは日本の生産現場のお家芸ともいえる、カンバンシステム、です。
カンバンシステムとは、”ジャストインタイム・システム“とも呼ばれ、常に在庫を最小にして、在庫管理コストと労務管理費を節約するやり方です。
下図はトラックが来る時間を見計らったように、その時間ちょうどにモノが完成した画です。
欧米も真似をしたこのシステムは、コロナでサプライチェーンが滞り、一部で「使えない」と批判が高まっているのです。
半導体などの希少な原材料も、その他の部品もいつ供給が途絶えるかわからない時代。
在庫をできるだけ少なくするという、日本の哲学に陰りが出てきました。
カンバンシステムの誤解
ただ私見では、カンバンシステムの本質というのは、日本人に特有な「集団主義の強み」、なのです。
日本は、映画ガンホーが揶揄している異常に高い集団性ゆえに、あらゆる事態に対して素早く柔軟に対応できる力が強いのです。
おまけに欧米が「差別だ」と非難する「ケイレツ」があります。
日本では会社が〇〇グループに属していて、グループ内であらゆる融通を受けることのできる仕組みです。
カンバンシステムは、在庫云々ではなくて、日本の集団性の象徴なのです。
右向け右で、すぐに全体が一糸乱れぬ行動をとれる日本の企業文化は、いまでも健在です。
フォードは組合を嫌いました。
日本は労使がべったりで、それもまた集団性に力を与えているのです。
これは自動車に限ったことではなく、モノづくりの現場には、こうした日本的な精神が今も根付いています。
ものづくりの現場には、集団性の根本である同志愛や、愛社精神や、職人のこだわりみたいな日本的な文化があり、そこには経営学でいうナレッジが根付いているのです。
僕は言ってみればアメリカ育ちですから、どうしても日本のシステムは個人を殺し、集団を活かす自由のない閉塞的なものに見えてしまいますが、最近はそれは少し近視眼的な見方だな、と反省しています。
現場の強さを生む終身雇用と年功序列
考えてみれば、それを支えているのは終身雇用であり、年功序列なんです。
みんなクビにならないから、安心して一つの会社で一生働こうと思うんです。
アメリカみたいにやれすぐレイオフだ、リストラだ、となったら、愛社精神なんて生まれませんよ。
年長の経験豊かな社員を敬うから、職人気質、職人文化が生まれる。
長く働くことができるから、スキルが蓄積し、それが創造を生む。
これが少し手先が器用で働きぶりがいいものが、どんどん出世していくというシステムだったらどうでしょう。
良い意味での先輩や年上を尊ぶという文化は生まれないし、労働者はより給料の良いところに転職し、現場にはスキルの蓄積などかけらもないでしょう。
安定こそが創造につながる
ぼくは思うんですよ。
今でも欧米の一部は、日本の生産現場を時代遅れの、地味な、イノベーションの起きないルーティンの巣窟だと思っているフシがあります。
でも、あと30年もしないうちに、再評価が始まると思うんですよ。
その理由は「真にサスティナブルだから」です。
安定こそが、生産現場の最大の強みだと思うからです。
安定とは、今の言葉で言えば、サスティナブル、ということです。
人の出入りが激しく、短期的な評価だけでキャリアの浅いものがどんどん上に行く、そしてどんどんやめていく、下が上を敬わない、上が下の面倒を見ない、そんな現場がサスティナブルであるわけないでしょう。
岸田さんも、菅さんもそうでしたが、口を開けば、まるで強迫神経症のように「経済成長」だ。
しかし、それは日本のいいところと悪いところをしっかり理解した上で、口に上らせるべきです。
何ごとも長期に安定していなければ、真の創造はできないのです。
その意味で、日本の工場には、世界が豊かになるヒントがあふれていると思うのです。
それでは皆様、また明日。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー