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電脳空間という無限地獄に咲いた一輪の花がnote。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:電子書籍は電脳空間という檻に入れられた囚人などとのたまったが、noteは同じ「無限地獄」に生息しながら、自由なのはどうしてだろうか。同じ種類のエネルギーを持った者たちが集まっているからかもしれないが、地獄に天国が共存するという矛盾は、奇跡でもある。
他の電脳メディアとnoteの違い
昨日の記事で電子書籍は紙の本と違い、テレパシーを発信できず、また電脳空間という猥雑な宇宙で迷子になり、そのかすかな呼吸すらあなたに感じてもらえない、などとほざきました。
言うにこと欠いて、「電子書籍はウェブという檻に閉じ込められている囚人」で、無実を訴えても誰も聞いてくれない孤独の詩人、だとも。(そこまでは言ってない、か。)
しかし、同じサイバースペースにいながら、我らがnoteは少し違います。
同じ電脳空間でも、電子書籍は無限地獄とも言うべき、電子宇宙全体に投げ込まれているのに対して、noteは宇宙の中の一部、note界という空間に存在するのです。
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note界とは、発信者と受信者が自由で闊達なやりとりをできる限定スペースのことです。
そしてこのnoteという空間は、コメント欄という仕組みがあり、双方向のコミニケーションができるようになっています。
もちろん、XでもインスタでもYouTubeでも、双方向のコミニケーションが可能ですが、いわゆる悪口で炎上、というような非生産的で、暗く、しょうもない、第三者が閉口する、ごみ溜のような様相を呈することが少なくありません。
もちろん、僕も何度かありますが、批判というより中傷のような書き込みをされたりもしますが、概ね、コメントも共感や同調、励ましや応援のメッセージに溢れているのが、noteの特徴と言えます。
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noteという画期的な電脳文化
電子書籍が無限地獄に取り込まれているのに対し、noteは共感と共鳴という理想的な空間を形作っている、のではないでしょうか。
無限地獄に対峙するから、有限天国、か。
その言い方もちょっとおかしいけれど、批判や悪口や侮蔑や嫌がらせが横行する無限地獄とは、全く景色が違うのがnote界という、隔絶された空間なのです。
なぜ、noteの記事は荒れないのか、それは皆さんが真剣にご自分に向き合って記事に取り組んでいらっしゃるから、だと思うのです。
なぜかといえば、noteは、白紙というシンプルなキャンバスを「ほら、書きなよ」とやさしく出してくれるだけですから、noteをやる人たちは、しぜんに頭も身体も白紙になり、自分をさらけ出すことにつながるから、ではないでしょうか。
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それが文字にあらわれ、気持ちが乗り移り、読む人に刺さる作品に自然に昇華する、のです。
でもその根底には、真摯な思いがあります。
noteを書く人は、note圏という特殊な電脳空間に足を、いや指を入れた瞬間、空間の目に見えない空気がこさえた共通ルールに縛られて、自然に自分をさらけ出すようになる、とも言えます。
おそらくnoteを書いている人は、自分以外の見えない力に操られて筆を進めているという感覚が、多少なりともあるのではないのでしょうか。
その力とは、noteを創始、運営している方々の祈りによるものではないか、そんなことすら考えたりもします。
いずれにしても、note界は、電脳空間という得体のしれない魔界から隔絶した、奇跡的な発信者と受信者が啓蒙しあえる空間をつくってしまっているのです。
無限地獄に咲いた、奇跡の一輪の花、それがnoteなのではないでしょうか。
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最近、そんなことを感じるのです。
皆様に感謝しています。
野呂 一郎
清和大学教授