伝説のUFO怪人・矢追純一に学ぶ「時代を創る力」。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:共時性かな。きのう初代タイガーマスクの天敵・「虎ハンター」小林邦昭氏のことを話したけど、さっき読んだ「ムー」に出てきた「ユリ・ゲラー」との共通点に気がついた。それは両者は一夜にして「時代を創った」ということだ。そう、それがテレビの力だ。
ユリ・ゲラーと小林邦昭の共通点とは
それは一夜にしてスーパースターになったことです。
テレビの力で。
「超能力者」ユリ・ゲラーは、1974年3月7日、日本テレビ系列「木曜スペシャル 驚異の超能力!世紀の念力男ユリ・ゲラーが奇跡を起こす!」で生放送中にスプーンを曲げてみせたのみか、視聴者にもスプーン曲げを促し「マガレ!」と念じたら、全国の家庭のスプーンが一斉に曲がったのです!
「虎ハンター」小林邦昭は1982年10月26日に、大阪府立体育会館で初代タイガーマスクと対決、なんとタイガーマスクの覆面をはぐという暴挙に及び、11月4日蔵前国技館で行われた再戦では、タイガーマスクに対して2度目の覆面剥ぎを敢行、全国のタイガーマスクファンに悲鳴を挙げさせました。しかし、視聴率は23.7%を叩き出しました。
小林はこう述懐します。
「タイガーマスクとやるまでは、街を歩いても誰も声を書けなかったが、あの試合の翌日から、ひんぱんに声をかけられるようになったよ。人生が変わってしまった。あれから30年たっても今だに『トラの覆面を剥いだ小林さんですね』と言われるからね」
ユリ・ゲラー、小林邦昭ともに、テレビの力でまさに一夜にして国民的スターに駆け上がったのです。
YouTube、SNSが全盛で、そしてテレビ離れが言われる現代でも、これだけのパワーを持ったメディアは、テレビ以外ないでしょう。
インスタライブなどが流行ってますが、スプーン曲げやマスク剥ぎのような物語を超えた「事件」を創り出し、国民的関心事にさせ、2000万人から5000万人の人々を耳目を集めるなどという芸当ができるのは、今でもテレビをおいてありません。
こんなことを言うと、読者の皆様は、「おまえなに言ってんだ、バカな芸能人がつまらないことを喋ってるバラエティとかばっかりのテレビなんて誰が見んだよ!」とおっしゃるかもしれません。
でも、それはプロデュース側が悪いのです。
ぼくは、あざとく、なんとか宮殿みたいに(笑)ドラマ仕立てにして製品を宣伝させよう、なんて提言したいわけじゃないんですよ。
でも、テレビの力っていうものを、そういう物があったっていうことを、昭和のテレビのパワーをご存じない皆様にお知らせしたいのです。
結局、テレビのパワーとは何かと言うと、「熱狂を呼び起こす力」にほかなりません。
今日は、そのテレビの力を、テレビ全盛時代の昭和を例に取り、分析してみましょう。
いや、それは答えはひとつなんです。
テレビ界に矢追純一がいたから。
矢追純一とは何か
共時性なのかなあ、今日のnoteのこのコラム何を書くかなあ、と思いながら、机の上にうず高く積み上げられた書類の山のてっぺんにある、雑誌を眺めていました。
雑誌「ムー」の最新号でした。
ページを繰ると「UFOディレクター矢追純一特集」にぶつかり、思わず引き込まれ、「これをnoteで取り上げなければ」との思いに駆られたのです。
テレビのチカラをこれほどまでに見せつけた人物はいません。
先にご紹介したユリ・ゲラー特番を始め、1970年代後半から80年代にかけて、数々のUFO特集で世の中を驚かせ、ネス湖に生息しているとされる怪獣ネッシー捜索をテーマとした番組では、UMA(未確認動物)ブームを巻き起こんだのです。
矢追氏の真骨頂は、企画書や台本のようなものは一切なく、好奇心だけでクルーを動かし、予定調和を嫌ったことです。
時代が時代の発展を縛っている
この時代、テレビと時代を動かしたのは、矢追純一でしたが、本当の主役は「時代」でした。
一言で言えば、「おおらか」だったのです。
昭和のテレビ界を象徴する番組があります。
11PM(いれぶんぴいえむ)です。
一言で言えば、月曜から金曜深夜に毎日放映されていた、大人向けのエッチな番組です。
1965年からなんと24年間も続いたのですから、昭和を代表する長寿番組であり、この時代の象徴と言ってもいいでしょう。
この番組も、矢追氏が担当していたのです。
矢追氏はこの11PMの中で、「勝手に」UFOを取り上げ、それが2時間の特番木曜スペシャルに昇格するわけです。
ひるがえって、いまのテレビ界はどうでしょう。
裸なんてご法度ですし、UFOやスプーン曲げだって「ウソだ、インチキだ、科学的根拠がないものを公共の電波に乗せるな」とか、すぐにブーイングが殺到するでしょう。
放送禁止用語が増え、ジェンダーや多様性に違反しないように、番組の内容にも最新の注意が必要で、芸人も天然さをそのまま出せば、すぐに干される時代です。
結果、テレビはどのチャンネルを回しても、スポーツや大食いやグルメ番組ばかりになるのです。
マーケティング全盛のテレビ界においては、台本の一字一句までコンプライアンス違反がないかチェックされます。
そんな予定調和の中から、熱狂など生まれるわけもありません。
じゃあ、テレビなんてマーケティングに使えないじゃない、そんな声が聞こえてきそうですね。
でも、世の中を活性化し、爆発的な消費を生むためには、テレビの潜在能力をもっと使うべきではないでしょうか。
そのためには、創る側が子供の心と野生、そして好奇心を取り戻すことではないでしょうか。
まさに矢追純一のように。
僕はそこに、新しい時代創生の可能性があると思うんです。
ただ、時代がね。
僕らはポリティカル・コレクトネスとやらに自縄自縛になってないでしょうか。
この問題に関しては、後日また。
野呂一郎
清和大学教授