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大企業が”プロレス研修”をやった話。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ポストコロナの企業研修はどうあるべきか。すべての日本企業の人材開発に関しての課題は何なのか。”プロレス研修”の是非。
ポストコロナの企業研修とは
労政時報という、人事の専門誌を読んでいたら、「ポストコロナに向けての新たな研修」という特集記事がありました。
大企業3社が、これまでの研修体系を見直し、新たな能力開発を目指す、という内容です。
![](https://assets.st-note.com/img/1651222930490-aB0ETxg4Dp.png)
ざっと見ただけですけれども、要するにオンライン研修を大幅に取り入れ、対面とミックスさせた”ハイブリッド方式”を打ち出しているだけのように感じられました。
記事には今までの研修体系の反省点が、書かれていました。
○会社主体で自主性が育たない
○会社の意図する人材像が見えない
○やらされている感がぬぐえない
結局、人事も仕事だからいちおう、研修という名のついたことをやっとけ、ということだと思うんです。
言ってみれば”置きにいってる”というか、無難なことをやってるだけというか。
ポストコロナの研修改革なんて書いてあるから、どんな立派なことやろうとしてるんだ、と見てみたら、ただ今までの研修がオンラインに変わっているだけ、という印象ですね。
そして記事にもありましたが、オンライン研修は、空気感を共有できない、横のつながりができないという致命的な欠点を抱えています。
![](https://assets.st-note.com/img/1651222979513-cXmUHWijeu.png)
なぜそれが致命的かというと、日本企業の研修の隠された本当の目的は、同期意識を養ったり、部門を超えて交流したり、研修を通して企業文化を感じることにあるからです。
その意味で、”オンライン研修”だとか”ハイブリッド研修”というのは、言葉の響きの良さに反して、”それだけで失敗してる”といってもいいのでは、と思うのです。
これじゃあ、研修は進歩じゃなくて、退歩なのじゃないのか、そんな思いをいだいてしまったのです。
”プロレス研修”を依頼してきた大企業
ちょっと我田引水な話をさせて下さい。
ウソのようなほんとうの話です。
僕は20年くらい前に、「プロレスの経済学」という本を書きました。
当時私は、千葉商科大学で、非常勤講師として経営学の歴史を教えていました。
しかし、経営史の授業を何の工夫もなく、教科書通りやっていたのでは、学生は退屈極まりないので、やむを得ず(笑)プロレスを題材に授業を進めたのです。
毎回プロレスの映像を編集し直し、経営学の、そして歴史の文脈に当てはめ、テキストもプロレスと経営学をフュージョンさせたものを作りました。
当時まだプロレスブームだったこともあり、大学内外で噂されるようになり、マスコミも取材に来たりして、結局それが一冊の本になったのです。
初日で7000部売れ、「これは100万部行くかも(笑)」などと思っていた矢先、某レフリーのプロレス暴露本とかが出て、プロレスも私の本も急失速してしまったという苦い思い出があります。
情けないことに、いまは1円ですよ(上の写真)。再びブームになる前に買ったほうがいいかも(笑)。
そんな話はともかく、本の出版をして、びっくりするような出来事があったんですよ。
それは、関西の電気系超有名会社の人事部長から、ある連絡があったのです。内容はこうでした。
「あなたの書いた『プロレスの経済学』で、社員研修をやってもらえないか」。
頭を柔らかくするという研修ニーズ
僕も大企業から、まさかプロレスで研修依頼がくるなどとは、予想もしておらず、思わず訪ねました。
「どうして御社のような大企業が『プロレス』なんですか?」
偶然書店で『プロレスの経済学』を手に取ったという人事部長は、こう答えたのです。
「うちの社員の頭をやわらかくしてほしいんです」。
これには二度びっくりしたことを覚えています。
しかし、考えてみると、この企業の「研修ニーズ」ははっきりしていますよね。
「そこがすごいな、そこだな」と、今感じます。
特に、ポストコロナ研修で、あいもかわらず、企業が研修目的に右往左往しているのを見るにつけ。
ポストコロナの研修担当の人事の皆さんは、思うに、エリートでおまけにすごく真面目だと思うんですよ。
良くも悪くも、頭がかたい。
「プロレス研修」なんて絶対に思いつかない。
僕のプロレス研修受けたらよかったかも(笑)
さて、研修は一日かけて行われました。
さすが大企業、テキストとして300人分のプロレスの経済学を事前購入してくださり、前もって送った手作りテキストも一冊の立派な冊子にしてくれました。これには感激しました。
さいわい、受講生の皆さんの反応もよく、後日また1日、追加研修が行われました。
プロレスという「バカの壁」
でもね、今やれ、と言われたら、できないでしょうね。
なぜならば、あれから僕が小利口になってしまったからです。
正直、バカだからできたんです。
当時は色々見えなかったから、書けた、言えた。
![](https://assets.st-note.com/img/1651223121081-Plfp6IuZuI.png)
プロレスブームだったから、そのノリで何でもできた。
でも、それが良かったのかも知れません。
今の僕じゃ、あんな講義はあの企業で、できないでしょう。
いまでもバカは変わらないけれど、なまじ知識が増えると、面白いことが言えなくなったりする。
いまだったらもう少し、まともなことやるのになあ、という後悔はあります。
でも、あのバカのノリだったから、社員の頭は「やわらかくなった」のです。
そう信じることにしています。
だから人事のみなさん、講師はちょっとへん、くらいのほうがいいかもしれませんよ。
でもねぇ、いまってコンプライアンスとかがうるさいから、失言するような人じゃ、無理か。
研修の効果は講師のモチベーション如何で決まる
研修を行う側としての僕のスタンスは、でも、ぶれていません。
それは、「面白いこと」です。
授業が、研修がおもしろくなければならない。
もちろん、面白いといのは、ひとりよがりではなく、受講者に満足を与えるという意味に近いです。
工夫して、ひとひねりして、はやりのネタも入れて、トンチも効かせて、世界情勢に結びつけて、ビジュアルも動画も入れ込んで、という塩梅でしょうか。
「おもしろくする」。僕の信念、そこはぶれていません。
そして、やる方も面白いと思ってやらないとダメだと思っています。
英語のライティングの研修をよく頼まれるのですが、断っているんです、ずっと。
なぜならば、自分がやっておもしろく、楽しいと思わないからなんです。
なぜならば、ありきたりなことしか、教えられないから。
いま、自分が教えていて楽しいと思う、内容に作り変えています。
でも企業の皆さん、研修の講師が教えることを楽しんでいない
研修は、ダメですよ。
受講者の皆さんに伝わりませんよ。出てもしょうがないですよ。
言い方を変えれば、講師が高いモチベーションをもってない研修はダメですよ。
僕は、研修ってそこだと思うんです。
さて、色々書きましたが、また明日も研修のことを書こうかな。
みなさま、たのしいGWをお過ごし下さい。
それではまた明日。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー