プロレス&マーケティング第96戦 ハルク・ホーガンのトランプ応援演説にみるブランド論の蹉跌。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:おとといのハルク・ホーガンによるトランプ応援演説を見て感じた違和感。40年もマッチョのイメージを保ち続けてきたホーガンはそれ故に変化ができない。あなたの会社のあの製品も、ひょっとしてホーガンと同じ轍を踏んでいるのかもしれない。トップ画はハラダ画伯の手になるホーガン。https://note.com/cocoroharada1024/n/n85d8df64622b
大統領戦の本当の争点
それは「男vs女」です。
いや、例によって僕の偏見、独断ですよ、それをまずはご容赦頂きたく思います。
そりゃそうですよね、「男vs女、なんて時代遅れなこと言ってんじゃねえ」、ってことじゃないですか。
カマラ・ハリス本人だって、彼女のマーケティングチームだって、あえて「女性」を強調しないという方向です。
ヒラリーがそれをやって反発を受けたことも、まだまだ米社会には「ガラスの天井(目に見えない女性差別)」があること、ジェンダー強調には右派からの反発が強いことなどが理由です。
しかし、一方のトランプは、よくも悪くもデリカシーがなく、ある種の反知性主義をまとう戦略であり、結果的にマスキュリニティ(musculinity男性性)が全開になっていますから、否が応でも、この戦いは「男vs女」なのです。
それがあらわになってしまったのが、一昨日報じられた、元プロレスラーのハルク・ホーガンのトランプ応援パフォーマンスでした。
ホーガンは着ているTシャツを破り捨ててみせました。
男=チカラという誇示です。
共和党は、もう、こう来ているわけです。
ブランド論は邪道か
僕の信頼するマーケティング本には、ブランドとは何かがはっきり次のように定義されています。
ようするに、ブランディング(ブランドを使ったマーケティング)とは、まずマーケターがその製品に独自のイメージをもたせ、そのイメージを消費者に生涯持ち続けさせる行為のことなのです。
ブランド論に欠けているものは、「変化」です。
ブランドはそもそも固定イメージを持続させることですから、消費者のテイストが変化すれば、それは逆効果になりかねません。
例えば僕の好きな雪印のコーヒー牛乳は、今でもスーパーに売っていますが、25年くらい前の食中毒事件で、雪印というブランド自体が毀損され、それがコーヒー牛乳にも及びました。
しかし、そんな中で雪印コーヒー牛乳が生き残ったのはなぜでしょうか。
それは「おいしい」からです。
この事実は、ブランディングとは姑息なイメージ操作でしかなく、マーケティングの王道とは「ただひたすらいい製品を創ること」、を示したのかもしれません。
いや、極端に言うと、今の時代「マーケティングという作為はいらない」のかも、です。
ブランド論の賞味期限
おとといのハルク・ホーガンのトランプ擁護のパフォーマンス。
これを見て笑ったり、がっかりしたアメリカ人は、少なくなかったのではないでしょうか。
要するに、ジェンダー平等の時代に「男」を売り物にするホーガンの時代錯誤、が笑われたのです。
変化の激しい時代、ブランド論を振り回し、消費者を洗脳しようと製品イメージをCMで振りまくことは、ある種の自殺行為なのかもしれません。
ここにまたマーケティングの宿痾とも言える、マーケットリサーチ至上主義が輪をかけます。
消費者のニーズとやらを特定して、それにあった商品のイメージを創るという方向が、マーケティングの定石なのです。
でも、気まぐれな消費者のテイストなんてそもそも固定したものなどではありませんし、世の中の変化の乱気流に巻き込まれて、製品自体が時代にすぐ取り残されます。
ブランド論よりタイガーマスク
ブランド論とは、意図的に製品イメージをくっつけることです。
でも、イメージはそれが作られたものである限りは、弱いものです。
初代タイガーマスクをごらんなさい。
誰が、初代タイガーにイメージをつけたでしょうか。
誰もつけていません。
虎の覆面とコスチュームは梶原一騎が作ったイメージといえますが、中身のプロレスラーとしてのコンテンツは、誰もイメージすらできないものでした。
今回のハルク・ホーガンを見て思ったことは、ブランド論の崩壊、ホーガンからタイガーへ、というとてつもない暴論でした。
失礼しました。
野呂 一郎
清和大学教授