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「フレンドリー」というチカラ。
この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:ある高校生の一言で気がついた、忘れかけてた大事なこと。世の中の根源的なニーズは、自分に気持ちを向けてもらいたい、ということだという発見。
虚をつかれた言葉
昨日、大学のオープンキャンパスがあったんですよ。
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そこである高校生に会いました。
いや、彼と会うのは初めてではなく、オープンキャンパスの常連のお客様なのです。
僕はいつも遠巻きに眺めていたのですが、今日は思い切って声をかけてみたんです。
「どうして、毎回ウチのオープンキャンパスに来てくれるんですか?」
彼の答えは、思いがけないものでした。
「ここの大学の先生たち、スタッフの学生さんたちがいつもフレンドリーに接してくれるからです」。
僕は意外なことばに、えーっ、っと思わずのけぞってしまったのです。
フレンドリーに飢えている社会
聞けば、あるマンモス大学のオープンキャンパスに行ったところ、先生たちに冷たく、無愛想に扱われたそうなのです。
その経験があって、「大学は怖い所」と思いこんでいて、でもこの大学では正反対の歓待を受け、大いに気に入って毎回オープンキャンパスに参加するようになったということなのです。
僕にとっては、「フレンドリーに接してくれた」という言葉の、あまりにシンプルさが僕には突き刺ささりました。
「フレンドリーに接することが、そんなに人の心を動かすのか」、という思いです。
フレンドリーという言葉は、僕の中では死語になっていて、いや、これは世の中的にもそうじゃないでしょうか。
フレンドリーという言葉は、だから逆にとても新鮮に感じます。
みんなそっけない世の中なのです。
皆自分ばかりに向いて、人に向いてない社会なのです。
他人との関わりじゃなく、スマホの画面だけに首を突っ込んでいるだけなのです。
フレンドリーとは、人に気持ちを向けている状態のことを指します。
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でも、気がつけば、我々はその正反対の方に行っているんじゃないでしょうか。
彼の「フレンドリーに接しろ」というのは、世の中に対する重要な警句なのです。
笑顔がない社会
フレンドリーには、必ず笑顔が伴います。
仏頂面のフレンドリーは、ありえないからです。
相手に気持ちを向けて、自分の心を開けば、自然に笑顔が出てきます。
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彼の言葉は、僕に強烈に突き刺さりました。
お前は学生に気持ちを向けて、自分の心を開いて、笑顔を作れているのか?
自分にそう問うと、答えは、なさけありませんがNoでした。
利益だとか、効率だのと言う前にこの高校生のシンプルなメッセージに、耳を傾けるべきだ、とわかったのです。
今日から僕は、皆さんにフレンドリーに振る舞おうと決めました、遅まきながら。
よろしく、です。
野呂 一郎
清和大学教授