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評価面接は、はたして必要か。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:パフォーマンス・レビュー(業績評価面接)をはたして必要なのか。コロナではからずも浮き彫りにされた、パフォーマンスレビューの虚実。企業と従業員の関係=敵対関係は変わらない本質なのか。
評価面接
英語でよくビナイン・ネグレクト(beneign neglect)ということがいわれます。直訳すれば「うやうやしい無視」、ですが、ようするに見て見ぬふりをする、という意味です。
コロナで企業が見て見ぬふりをしていたものに、従業員の業績評価があります。
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企業はコロナでてんやわんや、従業員にはせいぜい「仕事は家でやってて」くらいの指示しかできないのが現実で、評価なんかできなかったのは当然でしょう。
しかし、コロナが落ち着きを見せ企業は正気にもどり、マネジャーたちに「できの悪いのを辞めさせろ」などと言い出しました。
今日のThe Wall Street Journal2022年9月19日オンライン版は、The Dreaded Performance Review Makes a Comeback(恐怖の業績評価がまた帰ってきた)というタイトルで、多くの企業が評価面接を再開させたことを報じています。
サブタイトルをみれば(コロナ禍で多くの企業が業績評価を中止していたけれど、仕事の評価の基準をリニューアルして復活。でも一部の従業員は逆ギレ。Many companies suspended reviews during Covid. Now they are paying renewed attention to worker performance—much to the chagrin of some employees)業績評価は賛否両論で、改めてこの古典的な経営手法の難しさが浮かび上がってきました。
記事は統計的に意味のあることを言っているわけでなく、一部の事実を紹介しているだけなのですが、「コロナ時代の業績評価」という僕らも考えるべきテーマに現代的な視点を提供していると考えます。
今日は現実の詳細は明日にして、業績評価そのものがなぜ行われているのかを考えてみましょう。
コロナで問われる生産性
それは管理することが、生産性を上げることだと考えられているからです。
これはもう経営学が基本的に性悪説で、人間はムチを振るわないと働かないと考えているからです。
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少なくともアメリカではほとんどの労働者が、業績評価は怖気を振るうほど嫌われています。
それは最も生産性の高い労働者でさえ、そうなのです。
コロナ禍では、しかし、企業は業績評価どころじゃなかったのです。
全米で何百万人が企業を去り、HR(人事Human Resource)は人材の補填におおわらわ、既存の人材の労働生産性のチェックなどには手が回りませんでした。
内心しめしめと思った労働者は多く、「このドサクサに紛れて、もうあのやな業績評価面接を受けなくてすむな」と安堵していたのです。
パンデミックでリモートワークが始まって2年経ちました。
多くの人が「評価面接なんて、あんなの過去の亡霊にすぎない。それが証拠にここ2年間、そんなのなくったって俺たち、私達なかなかの仕事をしてきたじゃない」という自負心さえ持つにいたりました。
現実が旧弊を戻した
しかし、ここに来て、具体的に言うと2022年の第二四半期ですね、企業はこの成績が悪かったんです。
アウトプット(生産量)が落ちて、労働コストが上がったのです。
Bureau of Labor Statistics(労働統計局)によれば、非農業セクターの生産性、つまりアウトプットを労働時間で割った数字ですが、これが第2四半期に4.1%減って労働コストは10.2%増えているのです。
アメリカは基本成果主義ですから、経営者は労働者の尻を叩き、働かせなければなりません。
黙っていても業績が上がっているならば、ビナイン・ネグレクト(放置)もアリでしたが、この不況で尻に火がついた形です。
アメリカ企業の宿命として、株主のご機嫌を常にうかがってなくてはなりません。
株主様のご命令は、「ノロマでクズな労働者を即刻追い出せ」です。
ここに、アメリカ人労働者の夢であった評価面接なしの日々は、雲散霧消したのです。
しかし、このことが企業と労働者双方に、ある本質的な問いを投げかけたことも事実です。
「はたして、評価面接などそもそも必要なのか」。
長くなりました。続きは明日また。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー
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