岡田監督退任は”阪神の企業文化”のせいだ。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:岡田勇退?違うだろ。岡田さんはアレをニ年連続で達成しかけた、阪神の歴史始まって以来の功労者であり、野村監督に匹敵する知将だよ。この仕打ちはなんなの?でも、答えは「阪神の企業文化」のせい、だ。
岡田解任のなぜ
それは優勝イコール阪神球団最大の利益、とはならないからです。
うがった見方をすれば、阪神という球団は、前半ぶっちぎりで優勝の期待を抱かせ、中盤失速し、終盤はやっぱり巨人に引き離されて、クライマックスシリーズにでられるかでられないかで終わる。
フロント(経営陣)は「それでいい」と思っているのです。
虎党たちも最終戦も負けで、「何やってんだー!」と罵声を浴びせながらも、土壇場で弱い阪神にどこかホッとしているのです。
結局は期待させておいて、最後はそむく阪神。
ファンはこれが愛おしくてならないのです。
今申し上げたのは、僕の勝手な阪神タイガース論ですが、経営学ではそこに”企業文化”が横たわっていると考えます。
結論を言うと、岡田監督が辞めざるをえなかったのは、阪神の企業文化に勝てなかったからなのです。
9月23日巨人戦が答え
ここでジャイアンツに勝てば優勝が見えてくる、9月23日の天王山。
6回裏、阪神は先頭の大山が右中間を破る2塁打。
ここで試合後に岡田監督が「野球観の違いやな」と、プロ野球史上に残るような、重い言葉を発したシーンが飛び出しました。
続いて打席に入った佐藤輝は、打ち気マンマンです。
しかし肩の力が入りすぎてか、ケラーの好球を打ち上げてしまい、後続も続かず、結局この回はスコアリングポジションの大山を迎え入れられずに終わりました。
東スポなどによれば、岡田監督は「サトテルは、あそこで大山を進めるバッティングに徹すべきやったはずやろ」とあきれたそうです。
これが岡田野球です。
基本に忠実な緻密な野球。
阪神の企業文化とは何か
しかし、サトテルは先ほど言った”阪神の企業文化”に、どっぷりはまっているのです。
阪神の企業文化とは、そう、岡田監督のやり方と正反対、よく言えば「おおらか」であり、悪く言えば「アバウト」です。
企業文化とは、企業という空間に流れる目に見えない空気のことであり、言い換えれば伝統のことです。
えっ?ここからどうせまた経営学講義が始まるんだろう、そいつは御免被るぜ、とおっしゃるんですね。
それも意味がなくはないけれど、今日はやめましょう。
僕の理論で行きます。
企業文化は、ひとことで言えば企業の価値観、です。
阪神の価値観とは、よくも悪くも勝利に強いこだわりを持たないこと、ではないでしょうか。
どの時期に誰が監督の時に、どの試合で、ということはあえて言いませんが、阪神タイガースという球団は、どこかに悲劇のナンバー2でいることの価値が見え隠れするのです。
悲劇のナンバー2を象徴するものは、昭和時代阪神が優勝できない理由としていつも言われた「死のロード」です。
ロードというのは今で言うアウェイの試合のことで、阪神はいまもそうですが、夏の1ヶ月間甲子園球場を高校野球に明け渡さなければならないため、1ヶ月間は他球団の球場で試合をせねばならなかったのです。
過酷な長期遠征、身体への負担、心理的な負荷などで、選手はただでさえしんどい夏季を毎年ぐったりして過ごさなければならず、おきまりのように後半失速する阪神に、同情が集まっていたのです。
1981年江本孟紀投手が「ベンチがアホやから野球でけへん」と暴言を吐いたのも、ある意味阪神球団の勝利への意識の希薄さを物語ったエピソードと言えるでしょう。
生え抜きの現監督・岡田彰布はそんな阪神を反面教師として、勝ちにこだわる指導者に成長したのです。
と、まあ、勝手なことをほざきましたが、僕が言いたいことは、
企業文化というのはたしかにあって、それは個人が抵抗できないような巨大な壁だということです。
サトテルのプレーは、阪神の長い間に培われた”価値観”が、3年目の4番バッターにも引き継がれていることを示しています。
そんな阪神の文化を改革しようと、2006年に引き続いて乗り込んだ岡田監督は、9月23日にあらためてそれが無理だったことを、身を持って理解したのです。
阪神は岡田監督にフロントの要職を用意しているとか。
しかし、こういう人の神経を逆なでするようなやり方も、「阪神らしい」企業文化だな、と納得するのです。
野呂 一郎
清和大学教授