現代なら殺されなかった?西郷隆盛
孫子の兵法4は以下だ。
ここで、問題なのは、リーダーシップは時代を超えるのか、超えないのかという問題だ。
清廉潔白はで名誉を重んじるものは、侮辱されて罠に陥る。
この文言からわかることは、孫子はリーダーは清廉潔白でなくてもいい、いやむしろ、清廉潔白であってはならないと信じていることだ。
ここに出した西郷隆盛の例は、なるほど、孫子の言うことは一理ある、というか、リーダーシップの真実を語っているように思えるよね。
リーダーとは自分の価値観に固執しない人
僕はリーダーとは、変化に対応できることをもって、第一としたい。
これはリーダーだけではなく、人間社会に生きるものの、根本ルールだと考えている。そしてこれはまさに経営学の考え方なのだ。
諸行無常。万物は変化してとどまらない。変化に対応せずには
生き延びることはできない。
あらゆるイズムは主観に過ぎない
清廉潔白とは、以下の意味だ。
心が清くて私欲がなく、後ろ暗いことのまったくないさま。▽「廉」は私欲がなく、けじめがついているさま。「潔白」は心や行いがきれいで正しく、やましいところがないさま。(三省堂「新明解四字熟語辞典」)
しかし、心が清いとはいったいどういうことだろうか。客観的に清い心、というのはありえないのではないだろうか。何が清いか、客観的なことは言えず、清い心とは主観的な意味合いととるしかあるまい。
後ろ暗いこととはなんだろう。これも、客観的な言葉ではない。
つまり、清廉潔白とはあくまで、自分がそう思い込んでいる理想の姿にすぎないのだ。
人生の本質が変化だとすると、常に自分の理想を貫く生き方をすれば、うまくいかない。
リーダーとして、常に自分の理想に固執していれば、部下やフォロワー(リーダーに付き従うもの)の安全や幸福を保証することはできない。
だから、この格言はこう直してみよう。
自分の理想に固執するものは、侮辱されて罠に陥る。
侮辱されるとは、バカにされ、せせら笑われることだ。自分の理想や価値観に溺れ、変化に対応できなければ、バカにされ、笑われても仕方ない。
罠に陥るとは、マイナスを被ることだ、失敗することだ。変化に対応しないものは、失敗する。当たり前である。
清廉潔白の度合いをリアルタイムに合わせろ
西郷さんに少し寄って、清廉潔白で名誉を重んじることは、立派なリーダーシップだと考えてみよう。
今の時代なら、この生き方は自分も救い、組織も救うのではないだろうか。
今の時代の変化ははっきりしている。不倫、セクハラ、モラハラ、パワハラはもちろん、過去の不適切な行為も糾弾される。オリンピック開会式で某音楽家が退場したことが、まさに現代の変化を象徴している。
リーダーシップ=個人の価値観はありえないが、時代によっては
正しいとなる、これが僕の意見だ。
だから、時代の変化を理解することが、リーダーにとって最も大切なことだと考える。そのためにも新聞を読もう。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。
あす、また会えるかな。
野呂 一郎
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