見出し画像

プロレス&マーケティング第83戦 日本人の「権威主義」を作ったのは「力道山」というトンデモ。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:アンチプロレス派は馬鹿げた話と一蹴するに違いないが、今なお根強い日本人の「権威主義」は力道山が作ったのではないか。当時の社会背景、そしてアメリカNWAのプロレスビジネス戦略を考え合わせると、あながち間違いではないのでは。プロレスの可能性を広げすぎ、かなあ。

NWAに騙されていた日本のプロレス

先日のnoteで僕は、日本は今だに東大という権威を持ち上げているからダメなのだ、とぶちあげました。

正直思いますよ、東大にひれ伏す日本人の権威主義って変わってないよなあ、って。

しかし、ことプロレスに関しては、その歴史的経緯もあり、「権威」が非常に重要な役割を果たしてきたのではないでしょうか。

具体的に言えば、権威とはNWA(National Wrestling Alliance 全米レスリング連盟)のことです。

日本プロレスの父・力道山はいわば、アメリカのプロレス界に殴り込みを欠けてわけですが、その目標はプロレス世界一の象徴であったNWA世界王座でした。

しかし、NWA王座はプロレス最強の象徴のみならず、プロレスビジネスの核心でもあったために、挑戦することすら困難でした。

力道山時代、日本には現役のNWA王者が来て、タイトル戦が行われなかったことが、いかに当時まだ日本のプロレス市場が本場アメリカに評価されていなかったことを示しています。

しかし、NWA王座に代わる存在がいたのです。

ルー・テーズという日本人好みの権威

それが鉄人ルー・テーズです。

https://x.gd/QiXGc

日本のプロレスがなぜ最初っから華々しいブームを巻き起こしたかというと、力道山が日本でプロレス興行を創始する直前の1958年に、そのルー・テーズを破り、NWAインターナショナル王座を獲得したからです。

ルー・テーズは、当時NWA王座から陥落していましたが、NWAが認定したインターナショナル王座を保持しており、力道山は数度の挑戦の末、テーズからこのタイトルを奪取したのです。

ルー・テーズはNWAタイトルを失ったとは言え、世界最強のシンボルであり、そのテーズに勝ったことは、アメリカのプロレスの最高権威を日本人が手に入れたことを意味したのです。

僕に言わせれば、このNWAインターナショナル王座とは、NWAが商売のために認定したベルトで、よしんばこのタイトルを日本人に取られても、アメリカのプロレスビジネスにはダメージを与えない、という計算のもとに作られたのです。

本場のアメリカのプロレスビジネスは、NWA世界王座があればいいので、NWAが認可してはいても、インターナショナル王座は、あくまで日本人向けの傀儡王座であり、本当の権威ではなかったのです。

しかし、日本人はテーズの持つこのインターナショナル王座を、NWA王座と同等の権威と見たわけです。

NWAはうまいですよね、NWA世界王座という本当の権威にはタッチすらさせず、にせものの形式的な王座を作り、それをビジネスの道具にして、権威にこだわる日本人相手にプロレスビジネスを広げたのです。

欧米コンプレックスが権威を求めた

東大という権威に今だにしがみついている日本人は、もともと権威主義的なのです。

だから、プロレスでも権威にこだわるのです。

ただ、日本人がNWA王座にこだわったのは、アメリカに対する強烈なコンプレックスという社会的背景がありました。

敗戦です。

戦争に負けで打ちひしがれていた日本人が、力道山がシャープ兄弟に空手チョップを振るう姿を見て快哉を叫んだ、というのは理解できますよね。

その力道山は、プロレス最強のシンボルであるルー・テーズを破った、つまり世界の権威をまとっているわけで、もうすでに英雄なわけです。

プロレスを力道山が日本に持ってきた時点で、舞台装置は完成していたのです。

日本は戦争には負けたけれど、一対一の格闘では負けてない、という虚構です。

虚構とは、そう思い込みたいという願望に過ぎません、でしたが。

ただ、力道山という存在が、日本人の欧米コンプレックスをぶち破ったというていができたわけで、日本人はますますプロレスにおける権威に沼って行くのです。

プロレスびいきの、うがった見方をあえてしましょう。

プロレスというのは、我々が想像している以上に、日本社会に影響を与えてきたのです。

日本人が今だに権威が好きなのは、プロレスの黎明期に起こった、このインターナショナル王座をめぐる”事件”が影響しているのではないでしょうか。

野呂 一郎
清和大学教授






いいなと思ったら応援しよう!