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見せる装置としてのプロレスラーの肉体
ジャイアント馬場が巨体にこだわったわけ
プロレスの様式美は舞台にとどまらない。プロレスラーの肉体自体が様式美だ。6メートル四方のリングに映えるのは、身長190センチ、体重100キロの巨漢に限られる。
最近はレスラーの小型化が進み、ドラゴンゲートなどはガタイのいい普通の兄ちゃんたちがプロレスをやっているとも評される。
しかし、並外れた巨漢がリングインし、コールを受けてポーズを取るさまは、それだけでプロレスを見に来た、という満足感を客に与える。
故・ジャイアント馬場は大型レスラーにこだわった。それは自身が巨人でああることで、アメリカ修行時代に異例のスピード出世をしたからである。デカイことが、人気に繋がり、ファイトマネーに跳ね返ることを身を持って知ったのだ。馬場は、アメリカ修行2年足らずで当時の最高権威NWA世界王座に何度も挑戦している。
馬場は、でかいことがプロレスの本質だと感じたのだ。2メートル9センチは当時のアメリカプロレス界でも超巨体で、馬場もそれを強調するように下駄とハッピといういでたちで街を闊歩した。リングではあえて裸足でファイト、その異形ぶりを際立たせた。
まさにあのリングは大男たちを最も映えさせる装置だと、馬場は実感したのではないだろうか。
浜亮太こそプロレス
レスラー=大男=善という価値観は、後に馬場のあとをついで全日本プロレスの社長になった武藤敬司に引き継がれている。その象徴が体重225キロの浜亮太だ。
浜は何もしなくても、リングに仁王立ちして相手のパンチやキックを平然と受けるだけで、会場を沸かすことができる唯一の日本人レスラーである。リングに映えることはなはだしい。
もちろん、プロレスの見た目の魅力は身体のサイズだけではない、肉体美、と言いいたいところだが、やはり、あの6メートル四方のリングに映える肉体の美しさというのがあるのだ。
それは鍛えられた筋肉が主役ではあるのだが、適度に肉がついている必要がある。
痩せ過ぎているのはだめだ。ボクサー的な肉体はプロレスのリングには映えない。
ラッシャー木村の悲劇
適度の肉と言ったが、腹が出ているのはダメだ。
かつてアントニオ猪木が、当時国際プロレスのエース、ラッシャー木村との対戦を取り沙汰されたとき、「腹の出ているレスラーはレスラーじゃない」と木村の肉体を揶揄したことはあまりにも有名で、この発言もプロレスファンの肉体に関する価値観を裏書きしたものとも言えるだろう。
巨漢たちが更にリングで映えるためにはそれにふさわしい衣装が必要になる。それがゴージャスなガウンだ。初期のアメリカン・プロレスのスターたち、鉄人ルー・テーズ、野生児バディ・ロジャースなどのガウンはまさに彼らの体格と相まってリングで華やかに映える。
見せる仕掛けはまだまだある。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
また、あす、ね。
野呂 一郎