プロレス&マーケティング第86戦 プロレスマーケティングにおける「3」という魔法。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:昭和の新日本プロレスはマーケティングの天才だった。それは「3」という数字の魔力をよく理解し、巧みに使っていたことだ。普通A対Bでマッチメイクは終わりだ。しかし、そこに1をプラスすることで、カードの魅力は倍増する。1とは何か、そしてその塩梅を猪木のビッグマッチから学ぼう。
ルー・テーズという究極のかくし味
きのう、猪木vsゴッチの「実力世界一決定戦」を引き合いに出して「権威」✕「実力」を論じましたが、この試合にはとんでもない隠し味が仕込まれていました。
レフェリー・ルー・テーズがそれです。
実力世界一を争う傑物二人に、それを裁く20世紀最大のレスラー、何という構図でしょう。
しかし、皆さん、僕はこの試合を見に行ったんですけれども、ひどい試合でした。(笑)
まだ鮮烈に覚えているのですが、試合の中盤で猪木がテーズのレフェリングにクレームをつけて、なんと鉄人をボディスラム、そのどさくさをついて神様が猪木を丸め込んだ、そんな結末だったのです。
一緒に見に行った友達は憤慨していましたが、僕は「こんな試合、見に行くんじゃなかった」とはなりませんでした。
なぜならば、猪木、ゴッチ、テーズという世界最強トリオが揃い踏みしただけで、つまり試合が始まる前にすでにお腹いっぱい、胸いっぱいだったからです。
もちろん、猪木vsゴッチの白熱の試合に期待しないわけがないのですが、それよりも、権威と実力がないまぜになった、プロレスのロマンを匂い立たせるシチュエーションの妙にすでにやられたのです。
3という数字の魔力
3(者)という魔力。
どういうことか、この猪木vsゴッチの実力世界一決定戦は、猪木とゴッチの2者だけでいいじゃないですか。
新日本プロレスはもうひとりの存在である、レフェリーにこだわったのです。
別に誰がレフェリーやろうがかまわないわけです。
しかし、この実力世界一決定戦のプロレス・マーケティング的な意味は、権威と実力という要素以外に「第三者の介在が製品の価値を上げている」というところにあります。
第三者とは、鉄人ルー・テーズです。
考えてみれば世界の実力者二人を裁けるのは、彼ら二人を超えるような実力者じゃないと無理だ、とも言えます。
しかし、マーケティング巧者の新日本プロレスは、いつも「絵」を考えるのです。
どうしたらこの猪木vsゴッチの世紀の一戦が得も言われぬ「絵」を醸し出すか。
そうすると、第3の存在が必要となるのです。
ルー・テーズという絵は、最高じゃないですか。
先ほどから「第3」ということを言っていますが、新日本プロレスは3という数字にこだわっていると思うんですよ。
猪木とゴッチだけなら、2です。
しかし、ここにテーズが入れば3になる。
3というのはマジックナンバーで、安定や座りのよさ、いやそれ以上を意味するのです。(野呂の独断)
三種の神器とか、毛利元就の「三矢の訓(みつやのおしえ)」はその例と言えましょう。
新日本プロレスのプロレスマーケティングにおける3とは、ビッグマッチにおける、試合を最高にもりたてるレフェリーの存在のことです。
例えば猪木vs小林の日本人対決には、清見川という力道山時代の隠れた実力者を起用しました。
猪木・坂口vsゴッチ・テーズの「世界最強タッグ決定戦」のレフェリーは、当時世界マットの最高峰といわれた、「レッドシューズ・ドゥーガン」でした。
トリプル効果に学べ
主役以外の第三者を起用して、イベントの価値を上げるこの手法には、3つの効果があります。
新日本プロレスの長い歴史で、ビッグマッチ+最適のレフェリーという「3の完成品」はことごとく大ヒットを収めています。
試合がしょぼかった猪木vsゴッチも含めて。
この記事を読んでくださる猪木ファンのあなたは、あの試合を思い出していらっしゃいますよね。
そう、日本マット界史上最高の試合、「猪木vsロビンソン」です。
レッドシューズ・ドゥーガンが裁いたからこそ、名勝負たり得たのです。
思えば、このレフェリーも「権威」と「実力」を備えていましたね。
この2つのワードはやはり、プロレスマーケティングの重要なファクターと言っていいのではないでしょうか。
野呂 一郎
清和大学教授