プロレス&マーケティング第25戦 「マスカラスのゴングか、ゴングのマスカラスか」。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:日本に吹き荒れたマスカラス旋風をプレイバックする。ある少年のマスカラス狂いの日々。プロダクション、企業、ジャーナリズムが一つの素材だけを追いかける戦略の正しさについて。トップ画はhttps://qr.quel.jp/pv.php?b=41scX8Q
ゴング誌の英断
ミル・マスカラスの話で日本プロレスをなじりましたが、ほめたい件もあります。
それは”ゴング”の件です。
ゴング誌。言わずと知れたプロレス雑誌の老舗であり王者で、当時は月刊で、別冊ゴングというのも出ていたので、プロレスファンは月にゴングを2冊買っていました。
2006年に廃刊(休刊)するまで、半世紀以上もプロレスを報じていたのがこの雑誌です。
週プロはどうした?とおっしゃるんですね。
現在週刊の形式でプロレスを報じている週プロこと、週刊プロレスですが、当時は”プロレス&ボクシング”という雑誌でした。
ゴングが先に出たかどうかは不明ですが、そのくらい古いです。
今考えれば、ボクシングとプロレスは似て非なるものというか、似てすらもいないので、この二つを一緒にした雑誌つくりはもともと無理がありました。
プロレスを毛嫌いするボクシングファンはいたはずですし、プロレスファンも、ボクシングは興味ないのに一緒にしやがって、みたいな感じはあったと思いますね。
マスカラスと過ごした青春
プロレス界にはいくつか、ことわざのようにいわれるフレーズがあります。
その中の一つがこれです。
「マスカラスのゴングか、ゴングのマスカラスか」
そうなんです、それはマスカラスが初来日した時、いやその前からだと記憶していますが、いつのころからか、ゴングはマスカラスばかり特集するようになったのです。
それは徹底していました。
毎号付録は、マスカラスのピンナップ(部屋にピン止めして飾る大型四つ折り写真。死語か)ばかり。
僕も、部屋中にマスカラスのピンナップを飾って、うっとりする毎日を過ごしていました(笑)
ゴング誌で忘れられないのは、マスカラス論コンテストみたいのがあって、投稿したら、優秀賞か何かに採用してくれて、その時の賞品にマスカラスの“ミニマスク”をもらったことです。
僕は100万円もらうより嬉しかったことを、今でも覚えています(笑)。
マスカラスの覆面ならプロレス屋さんで売ってますが、いくらあのプロレスグッズの殿堂・闘道館でもマスカラスのミニマスクはおいてないでしょう。
高校2年の時、意を決して”九州一周ヒッチハイクの旅”を敢行した時に、そのマスクをリュックにぶら下げて放浪しました。
まさに弘法大師ならぬマスカラスと”同行二人“です。そのおかげで3週間かけて九州を一周することができました。
あの時のマスク、どこかに行ってしまったんです、鉄人28号の水筒と共に(笑)。
そのころ、すでにマスカラスは僕にとって神になっており、同時にゴング愛にも拍車がかかっていきました。
マスカラスお宝グッズの王者とは
ミニマスクの次に、僕のお宝になったものがあります。
「ミル・マスカラスその華麗なる世界」というゴング誌が出した、マスカラス写真集です。
マスカラスの持っている、1000になんなんとする覆面がほとんど写真に収められているだけでも、買い、ですが、とにかく全編200ページマスカラスだらけ、まさにマスカラスのすべてがわかる一冊なのです。
それもなくなってしまいました。
でも犯人の目星は付いています。母親です。
プロレスばっかりに狂って勉強をなんにもしない息子に危機感を感じたのでしょう。
思えば母親は10年ためた東スポの切り抜きや大会パンフレット、入場券の半券等のお宝も全部捨ててしまいました。
その時の絶望ときたら、言葉では言い表せない。
もし僕が今でもそれらを持っていれば、プロレスの経済学などと言うチャチな本より、ずっとすごく面白い本が書けたはずなのにな、と思います。
僕のつまらない心の傷の打ち明け話を聞いていただき、すみません。
ゴング誌の慧眼
マスカラスとゴング誌の話に戻しますね。
一言で言うと、ゴングは慧眼でしたよ。
だって、マスカラス程のレスラーが出るわけないじゃないですか、あんな悪魔的な魅力に満ちたプロレスラーが。
思えば、東スポがマスカラスの神話がはじまった舞台であるロサンゼルス・オーディトリアムでの活躍を取り上げ始めたころは、マスカラスは「仮面貴族」ではなくて「悪魔仮面」と呼ばれていました。
某覆面レスラーがそのニックネームを使っていますが、マスカラスに帰すべきだと思います。その方がマスカラスの底知れぬ魅力を、よりよく表現していると思うんです。
ゴングの「マスカラス一択」はwin-winだ
それにしても、ゴングは思い切りました。
そしてこの決断は、双方に大きな利益をもたらしました。
マスカラス人気が高まるにつれ、マスカラスを取り上げたゴングは売れ、マスカラスの存在を全国区にすることに貢献しました。
ゴングの出版元・日本スポーツ出版社の社運を賭けたプロジェクトがまさに、「マスカラスのゴング」だったのです。
マスカラすの教訓
今、プロレス界が抱える問題は、絶対的エースが存在しない、ということです。
言い換えれば、絶対的なスーパースターの不在です。
もし一人の傑出したプロレスラーがいれば、団体は彼・彼女をエースに据えて団体運営を行うでしょう。
ゴングがマスカラスを全面的に押し出したように。
しかし、どの団体を見ても、そんな器はいません。
だから、複数のスター選手の、複数スター制度でいくしかないのです。
今日のプロレス&マーケティングを他業種に応用する
1.あらゆるプロダクション、企業、スポーツ団体は、これだと思った人材に社運を賭けろ。
2.外国に”日本人好みのスーパースター候補生”がいる。世界の辺境にまで飛んで、その逸材をスカウトせよ。
力道山は日本の裏側にあるブラジルで猪木を見つけ、日本のあるプロダクション会社の社長は、アグネス・ラムを、早見優をハワイで見つけた。
3.マスカラスの成功は日本がスキで、日本のファンをこよなく愛したこと。
日本でスーパースターになるには、日本人と日本のことがスキでなくてはならない。
ヌートバーがその好例だ。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
じゃあ、また明日お目にかかりましょう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー
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