プロレス&マーケティング第60戦 イチローの自己演出に学ぶプロレスラーのたたずまいとは。
この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:イチローの放った、セルフ・プロモーションに関する一言が納得。プロ野球選手でもゲーム以外のところで、どう見せるかは重大事項である。しかし、「どう見せるか」には知性が必要だ。
イチローの言葉にハッとする
Number2024年3月号 の巻頭特集に、イチロー選手のこんな言葉が載りました。
引用します。
Number:今の選手は高校生からメジャーリーダー まで3割、200安打という数字よりも 回転数や 打球速度といった数値を重視してるように見受けられます。数字にこだわってきたイチローさんは、数値を参考にすることがありますか
僕はこのイチローの言葉に心から共感を覚えたのです。
僕もまさにこのとおりだと思ったからです。
言ってみれば美学、ですよね。
プロのアスリートは、やはり美学を持ってないとダメ、強くそう思うんです。
SNS時代のプロレスラーのあり方
美学なんて、作るものじゃなく、自然ににじみ出るものだろう、読者の皆様はそう言われるかもしれません。
しかし、プロレスラーに限りませんが、自分を人に見せることをなりわいとしているものは、「どう見せるか」を四六時中意識しないと成功はできないでしょう。
自分へのこだわりはいいけれども、自分らしさを自然に発散させればいい、というわけには行かないのです。
なぜならば、ファンはプロレスラー本人よりも、プロレスラーの本質を見抜くことがあるからです。
それと、最初からプロモーター筋から、キャラクターを付けられてしまうこともあります。
力関係でプロモーターに勝てなければ、その役を演じるしかありません。
しかし、ファンもプロモーターも、プロレスラー自身よりも、そのプロレスラーのことが見えています。
だから、「虚像を演じる」ことは、プロレスラーにとって自分を活かすことでもあるのです。
三沢光晴の格闘
とはいっても、あてがわれた虚像を演じることが、どうしても苦しく、できなくなることもあります。
そうです、タイガーマスクという虚ろな像を、コピーするように命じられた、プロレスリング・ノアの創始者・故・三沢光晴です。
あるとき試合中に三沢はタイガーのマスクを脱ぎ捨て、「三沢光晴」に戻りました。
皮肉なことに、ここから「三沢光晴」が本当の意味でブレイクしたのです。
それは長年に渡る、マスクの中の葛藤があったからです。
しかし、覆面を脱いだ三沢がブレークしたのは、葛藤の中で自分をプロレスラーとしてどう表現すべきかを考え抜き、悩み抜いたからではないでしょうか。
エメラルドグリーンを基調としたコスチューム、常に真摯で決してあきらめない戦いぶりは、三沢の軸とも言えるもので、三沢光晴は彼の人生でそこがブレることはありませんでした。
三沢といえば、下ネタで有名ですが(笑)、それはリングでの真面目さとのバランスを自然にとっていたのでしょう。(ほんとか?)
プロレスラーは常に観客と対話している
その三沢とて、「タイガーマスクは合わないから、本来の自分に帰る」という単純なものではありませんでした。
プロレスラーは、嫌でも常に観客と対話をしています。
時には見えない観客とも、マスコミとも、世間とも、対話をしています。
リングでは嫌でもこの動きが受けた、こんな一言が受けた、表情一つで場内のムードが変わった、などなど、見るものから自然にフィードバックをもらっているのです。
雑誌に載った一言、テレビのインタビューの反響、SNSでのつぶやき、すべてプロレスラー三沢光晴を、そしてそのキャラクターを育ててきたのです。
考え、勉強しないと感性は育たない
冒頭、イチロー選手の「打席が終わって、iPadを見てるのは美しくない」という言葉を紹介しました。
そしてプロのアスリートは、皆こういう感性が必要なのだと申し上げました。
ただ、それだけではなく、プロアスリートは「ファンはそれを見てどう感じるか」の感性を持たねばならないのだと思うんです。
それには、考える力と勉強が必要です。
イチロー選手はスポーツやビジネスにおける昨今の数字が重視されている事実と背景を知っていて、それについて深い思索をめぐらしており、なおかつスポーツマンとしてそれにどう対処すべきか、なかんずくどう見せるのかを考えています。
「美しくない」と言い、それを実行するのは、単なる自分のイズムを貫いているだけではないのです。
プロレスラーは言葉に敏感になれ
週プロ(週刊プロレス)を読んでみると、毎週プロレスラーの言葉が載っています。
でも、このレスラーにこのセリフは似合わないな、とか、いまこんなこと言うと「ちょっと」って思われちゃうぞ、などと心のなかで余計なおせっかいをする自分がいるのです。
某レスラーのファンへの呼びかけの◯◯ヤロー、は似合わないと思うんですけれどね。
なぜならば彼の立場と能力を考えると、一部のファンではなくて、社会全体に影響を与えることを目指すべきだと考えるからです。
若手レスラーの某の女性の好みも、直截すぎると思うんだよなあ。
プロレスラーなんだから、ウソを言ったっていいんですよ、客との駆け引きという意味で。
昔のプロレスを美化するわけではないですが、ターザン山本が編集長をやっている頃は、プロレスラーが「ゲラを読ませろ」と、印刷前の原稿チェックを要求することが珍しくありませんでした。
レスラーは、自分の言葉がどう伝わるか、言葉が既存のメディア以外でも氾濫する時代だからこそ、敏感すぎるくらいでいい、そう思うのです。
以上、SNS時代のプロレスラーの自己表現には知性が求められている、という話でした。
野呂 一郎
清和大学教授