「わかりやすさ」こそ最高の価値。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:シンプルで当たり前過ぎて見過ごされている最高の価値、それはわかりやすさ、という主張。わかりやすさを創造するヒント。
スマホ教室に行ってみた
ずーっとガラケーを使っていました。
「なんであんな入力しにくい機械を世の中の人は使ってるんだ、指先でめんどくさい入力をしなくちゃならないだけで、オレはやだ。モノを調べるならパソコンでいいじゃん」という、Z世代のキミには意味不明の理由で、スマホに背を向けていたんです。
でも、3Gだか5Gだかが終了で、否応なくスマホに乗り換えなければなくなり、中国行きが決まってWechatとやらを使わなくてはならず、急ぎガラケーいやスマホ代理店に駆け込みました。
そこで無事乗り換えが終わったのですが、さて、スマホどう使うかわからない。「教室やってますよ」との係の人の誘いに、応じ、今日行ってきたんです。
定員は4人のところに、僕含めて3名が集合、お年を召された(僕もそうですが)、70代と思しき男性、女性の方々です。
先生が開口一番、「今日皆さんは、何を一番私に期待しますか?」と投げかけ、丁寧さ、わかりやすさ、親しみやすさ、面白さ、楽しさ、などのチョイスをあげると、みな異口同音に「わかりやすさ」と答えました。
パワーポイントのようなスライドを見せながらの45分間で、実際にスマホを操作させて、つまづくと先生がすぐ駆け寄って教えてくれる、そんなやり方でした。
僕はとてもわかりやすい教え方だと、感心し、他の参加者も同意見だったのですが、先生が後日の続編のスケジュールを打診すると、「もう一度同じのを受けたい」とおっしゃるのです。
わかりやすい、はむずかしい
あんだけわかりやすく教えてくれたのに、もう一回?そうも思ったのですが、パソコンをいじったことがない人は、デジタル入力なんて、感覚的にムリです。
そう考えると、スマホを教えてすぐに理解できるのは、若者や現役ビジネスパーソンだけなのかもしれません。
わかりやすく教えることは難しいことを再認識したと同時に、「わかりやすさ」という価値は、隠されたとんでもない市場ではないかと、マーケティング思考を巡らせた次第です。
スマホに限りませんが、わかりやすく教えるニーズって、意外にありますよね。
例えば、経済。
いろんな経済事象があり、経済用語がありますが、わかりやすく説明しているメディア(TV、本、雑誌、ネット)は皆無です。
誰が、「日銀のイールドカーブが」なんて言ってわかるんだよ(●`ε´●)
特に日経の経済解説はわかりにくい、ですね。
最近笑ったのが、その日経が「日銀文学はいい加減やめろ」などと書いてたことです。
日銀文学とは、日銀の難しくて抽象的でわかりにくい説明を皮肉った表現ですが、つい「日経よ、お前もな」と言いたくなりました。
でも両者ともわざとわかりにくくして、経済の価値を上げようとしているのかもしれませんよ(笑)
誰もがすぐにわかってしまうものは価値がない、学問の世界もそういうとこがありますよね。
簡単なことを、難しく表現することが仕事、などと的を射たことを言われます。
一方でわかりやすいことを価値と考え、他方で、むずかしいことを価値と考える、二律背反的な人間の矛盾というべきでしょう。
池上解説という市場開拓
今、池上彰さんのニュース解説がTVで流れています。
なぜ、この番組がゴールデンタイムで流れているのか、これこそ、世間のわかりやすさへのニーズを示しています。
池上さんの解説は、ある種テレビの見せ方に風穴を開けた、と思うんですよ。
今までニュース番組と言えば、専門家がガチガチの専門用語ばかり使う、しかめつらしい解説ばかり。
しかし、池上さんのは、素人でもわかりやすい。
この現象は、我々は「わかってなくても、わかっているふりをする」生き物なのだと気づかせてくれます。
「今さら聞けない、チャットGPTのすべて」みたいな本が売れるのも、人間って「知っている」という見栄で生きている証拠です。
わかりやすさ、という価値の創り方
僕は頭が悪いので、わからないことだらけですが、しかし、だからこそ「わかりやすさ」ということを人一倍理解していると自負しています。
秀才、天才はすぐわかってしまうから、わかりやすく伝える、教える、なんていうことに意識がそもそもないんです。
「こいつらにわかりやすく教えるなんて、できねぇ、俺の出番だ」、そう信じて今まで来ました。(半分笑)負け惜しみがすぎますけれど。
まあでも池上さんは頭がいいからこそ、わかりやすく教えることができるので、頭が悪いひとこそがわかりやすく教えられる、というわけでもないですねぇ。こまるなぁ。
しかし、わかりやすいことは、マスクト・ニーズ(masked needs隠されていたニーズ)であることは、明らかです。
最後に、あえて俺流のわかりやすさの作り方のいくつかを、ご披露しましょう。
1.教えるという機会を持つ
やはり、人に何かを伝えるという実践の場を持たないと、わかりやすく伝えるという感覚がわからないですよね。
2.例え話をする
僕は定番のプロレスに例えることをしますが、よく「プロレスファンにしか通じない」と悪口を書かれたりします(笑)。
やはり例え話は、誰でもわかる話をしましょう。
3.自分の興味のない分野の情報も集める
学生に例え話をするためには、彼ら彼女らの興味に寄り添い、情報収集をする必要があります。
僕もやっとスマホに触れるようになったので、ラインの例え話ができるかも、です。
4.図解、映像などビジュアルで見せる
下の図は経営戦略の授業で使ったものですが、写真と映像を使ったものです。
プロレスファンがほとんどいないクラスでは、もう使えないですね。使う時は写真の出所なども明示する必要はあります。
よくパワーポイントや映像などのビジュアルは、スマホに劣るから今の人にもはや訴えない、という声を聞きます。
自分でもそう言っています。
しかし、問題はどの絵や映像をピックアップするか、というこちらのセンスであり、観客の求めているものを読み取る能力、なのです。
そういう意味では「わかりやすさ」を追求する表現者は、映画やテレビの映像に常に関心を持ち、注意を向けて「これ使える」という意識を持つことが大事、ともいえるでしょう。
もちろん見せる時は、有料のオーディエンスがいる時は著作権に配慮することを考えなくてはなりません。
でもね、これの究極って「自分で映画を創る」ってことなんですよ。
でも、それもひとつの「わかりやすさ」の帰着点かもしれません。
5.英語や日本語以外の情報源を使う
しばしば経営学や経済学などの社会科学は、「翻訳学問」などと揶揄されます。
しかし、いまも翻訳モノが日本の学問体系に組み入れられている、というかそれがメインであるのが普通です。
でも、世に出回っているのは古い情報がほとんどなので、あなたが最新情報をピックアップして、より洗練された日本語で伝える必要があります。
時代にそぐわない情報は、翻訳しても「わかりにくい」のです。
そして学術書みたいな「直訳」は、非常に分かりにくく、誤解を恐れずに言えばそれどころか「誤訳」が多いのです。
外国語を日本語にする時は、「このことを日本の状況にあてはめると、こうなるな」という表現をしないと、日本人の読者にわかりやすく伝わりません。
とは言え、僕のこれは体験的信念ですが、経済、経営関係に限っては、日本語の文献よりも、遥かに英語の文献のほうがわかりやすいです。
それが証拠に、僕でもMBAをとっているじゃないですか。
実は英語で勉強したほうが、わかりやすいんです。
さて、わかりやすさの追求はきりがないですから、この辺で切り上げますけれど、この分野はロマンが溢れている、そう思うんです。
さて、中国でうまくスマホが使えるかなあ。
野呂 一郎
清和大学教授