アメリカの分断を創ったのはディスコ音楽だという暴論。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:アメリカの分断は、70年代流行したディスコミュージックにその源流があったとする説を紹介する。ABBAの名曲「ダンシング・クィーン」をめぐる論争はいったい何を物語るのか。トップ画はhttps://qr1.jp/1bFZWJ
ディスコミュージックってなんだ
70年代、日本でも流行ったんだ。
ディスコっていう若者文化があり、僕ら昭和世代はどっぷりハマっていた、というよりも今考えると何者かに洗脳されていたのかもしれない。
いまは、クラブっていうんだろうか、若者が音楽に合わせてフロアで踊る場所、DJもいて食べ物もビュッフェスタイルで用意してある。
踊り疲れたら仲間のいるテーブルに戻り、お酒やソフトドリンクを飲む。
そうしている間に、踊っている女子に目をやり、どうやって声をかけようかなんて話し合っているバカたち・・・それが僕らだった。
ミュージックの中心はディスコミュージックで、この曲は時代そのものだったと思う。
時代に反発する若者
日本人って付和雷同するし、仲間はずれにされるのを恐れるせいか、流行に背を向けるような手合はいなかった。
でもこれから紹介する、アメリカの若者の一部は、このディスコブームに乗らなかったんだ。
彼らが忌み嫌ったのは、アバというスウェーデン出身の男女4人グループのディスコナンバー「ダンシング・クィーン」だった。
なぜか、若者は当時パンクロックにイカれていた。
パンクロックは生き方でもあり、宗教でさえあった。
(下はセックス・ピストルズ)
その立場からは、ディスコ音楽は敵対概念だった。
アバのこの曲は、この曲はポップスとディスコ音楽の交差点、ともいわれ、ディスコ音楽の新しいムーブメントとして、パンクロック派の若者を苛立たせたというわけだ。
アイデンティティの問題もある。
若者はパンクロックで反体制を気取ってはいたものの、自分は何者かという意識、つまりアイデンティティを持っていなかった。
アイデンティティとは、好きなものとキライなものをはっきりさせることで、獲得できる。
反ディスコ派の若者は、そう考えていたのだ。
ニューヨーク・タイムズWeekly2023年11月12日号はI don't hate disco after all(結局私はディスコが嫌いじゃなかったんだ)は、当時の若者が大人になって、また社会の分断を創り出しているのでは、との驚くべき分析をしている。
アメリカの分断は些細なことから
しかし、当時の若者は現在60代のはず、アメリカを動かしている人たちだ。
記事を深読みすると、アイデンティティに迷った若者は、音楽の好みをまずはっきりさせなくては、という強迫観念に駆られ、パンクロック以外の音楽をけなすことで、自分というものを確立しようとした。
しかし、それは浅薄極まりない行為だったが、彼ら彼女らの精神のあり方は変わってなかった。
レッテル貼りをし、派閥を作るのに長けているのだ。
中年になり、彼らは新たな派閥つまり現状否定派を作り、結果アメリカを分断したのだ。
でもそれは、かつてディスコ音楽を、理由もなく悪者にして見下したと同じで、「若気の至り」に過ぎない。
アメリカの分断は、そうあの「ダンシング・クィーン」がディスコに鳴り響いていたころに、すでに始まっていたのだ・・・
いやいや、これは拡大解釈が過ぎたようだ。
主観が時代の扉を開く
でも、統計的に基づかないことでも、ムーブメントになってない出来事でも、なにか現状を分析するヒントがそこにあるかもしれない。
AIにできない仕草は、そう、主観ということだ。
それが説得力を持った時、世の中が動く。
キミはAIに勝てるよ。
最後に一つ補足だ。
ディスコ音楽っていうのは、黒人音楽(ブラックミュージック)にルーツを持っている。
黒人音楽は人種の分断というテーマがあったはずなのに、ディスコ音楽はそこを徹底的に無視しており、テクノ・ポップ仕様を受け入れた。
ディスコミュージック嫌いは、そういうこだわりがあり、パンクロック少年少女たちは、そういう風潮を感じ取る感性があったとも言える。
そのように考えると、あの時代の少年少女パンクロッカーたちは、若い頃から人種問題にも感度を持つ、レジスタンスという若者らしい反体制の魂をもった思慮深い存在だったのかもしれない。
なぜ、ディスコ音楽が消えたのか、この答え、知りたいな。
野呂 一郎
清和大学教授