イーロン・マスクvs利根川幸雄vs中村修二。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:時空を超えたシンクロニシティ、マスクvs利根川。両者の共有理念であるハードワークは”一巡してまた戻ってきた不易”、なのか。ハードワークと創造性の関係。トップ画はhttps://qr.quel.jp/pv.php?b=3UShpec
不易流行
不易流行という言葉がある。変わらぬことと変わること。普遍的な真理と一過性の出来事という意味だ。
ここ数日拙稿で繰り返しているイーロン・マスクの”ハードワーク”は、人類が忘れていた”不易”ないし”真理”なのだろうか。
言い換えれば、絶対善。
日本人は勤勉だからつまりハードワーカーだから、世界二位の経済大国になれた、という論でもある。
今の日本が経済で中国はおろか韓国の後塵を拝す様になったのは、その理屈からすると、ハードワークをやらなくなったからだ、ともとれる。
やれワークライフバランスだの、人間性だの、多様性だの、働きやすい環境だのと言って、一生懸命働くということが疎かになったので二流国に転落した。
口には出さないけれど、こう思っている昭和世代は多いと思う。
イーロン・マスク氏のハードワーク論は、そうした人たちの琴線に触れたおそれがある。
またシンクロかなあ
今日の授業”現代社会と経営”は、トネガワだったんだ。
え、「それって何?」って?
カイジのサブキャラさ。帝愛っていう悪徳金融業の中間管理職のトネガワだ。
何がテーマだって?
「イーロンマスク対トネガワ・日米悪の経営学」、さ。
トネガワが悪、はわかるよ。キャラの設定からして、悪役。
カイジが善玉、トネガワが悪玉。
じゃあ、マスクは?マスクも今、皆に嫌われてるから、悪玉ってことにしようよ。
いや、トネガワにトランプ、いやマスクをかぶせようとは思ってなかったんだって。
最初はトネガワをテーマに「中間管理職の意思決定」をやるつもりだったんだ。
でも、マスクをかぶせたのは二人とも同じことを言っているからなんだ。
「死ぬ気で働け」ってことだ。
トネガワは言う。
おまえらのように継続した努力ができぬ輩は本来大金なんて夢のまた夢……それでも手に入れたい……どうしても手に入れたい……となったら……これはもう……命を張る以外ない…!
一方マスクは「ジャスト・ハードコア」だ。
死ぬ気で働くつもりがなければ、会社を辞めろ」だ。
トネガワはこうもいう。決断が遅いものはそれだけで資格がない。それだけで負けだ、と。
「一生迷ってろ。そして失い続けるんだ……貴重な機会(チャンス)を……!」
マスクも同じだ。
「明日までに意思決定して、いるか去るか決めろ」、だ。
まあトネガワという架空の人物と、実在のマスクを比較して、シンクロニシティもあったものじゃないが、僕が偶然この二人の比較をひらめいたのが、偶然だと感じたんで、無理やりシンクロニシティにしたんだ。
シンクロニシティって、自分レベルで起こったことでいいんだよ。 (勝手!)
きのうも言ったけれど、業界を改革したいんだったら、ハードワークっていう小手先なしの努力しかないんだろうな。
労を惜しまず働く、それしかないんだろうな。
ハードワークとはなにか
ハードワークはAIに任せて、人間はAIにできない創造的なことにだけ注力すればいい、っていう意見がある。
でも、手を動かしたり、繰り返し仕事をしたり、あえて機械に任せないで自分でやってみることに、創造があるという考え方もある。
ノーベル賞を取った、青色発光ダイオードの生みの中村 修二先生だ。
彼は大きな発明が生まれないのは、「ハードワークをしないせいだ」、と言っている。
いや、そこまではっきりは言っていない。
創造的な仕事はやりたがるが、めんどくさい、一見創造的でない仕事はやりたがらない、というんだ。
例えば青色発光ダイオードを生み出すために、中村氏は完成に至るあらゆるプロセスを自分でやった。
実験機械を作るところから、すべて。
こういうのをハードワークというのではないか。
そして、全過程を自分でやる大変な仕事から、真の創造性が出てくる。
これが中村修二の「ハードワークからクリエイティブが生まれる」論だ。
まあ、マスクさんが定義するハードワークは、強度と時間の掛け算だと思うので、中村さんのいうハードワークと違うかもしれないけれどね。
でも、利根川幸雄、イーロン・マスク、中村修二は、おんなじことを言っているのかもしれない。
そろそろ、イーロン・マスク論も終わりにしないと。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。
じゃあ、また明日会おう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー