プロレス&マーケティング第71戦 オール・トゥギャザーの前にやることがあるだろ!
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:プロレスは進化しているのか?デスペが優勝したBOSJなど見てみると、まるで命綱のないサーカスだ。ファンもレスラーに求め過ぎだし、レスラーもファンに媚びすぎだよ。こんなプロレスはサスティナブル(健全に続くスポーツ)とは言えないだろ。誰が危険なプロレスを日常にしたんだ?オール・トゥギャザーの前にやることがあるだろ!
プロレス界を襲った悲劇とは
今回僕は今のプロレスに起承転結がない、だとか、最初から最後まで大技のオンパレードで”間”がない、何よりも危険なムーブが多すぎてレスラーの怪我が心配だ、などと批判しました。
今回のシリーズでもすこし触れましたが、これまでの日常のプロレス風景を奪ったのは、格闘技に対して強さを証明できなかったこともそうですが、とりわけ例の暴露本の出版にあったと思うんです。
今回はこのことに関しては触れませんが、読者のロジャーさんから、今回の僕の拙い考察について、こんな素晴らしい洞察を頂いているので、ご紹介したいと思います。
ステークホルダーに目配りを
ロジャーさんのおっしゃっていることを、プロレス界は真剣に受け止めるべきだと思うんですよ。
太字のところ、「一人の力だけでは限界があり、周囲の理解もあってこその社会現象ですね」、というところです。
ロジャーさんのおっしゃる「周囲」とは、経営学ではステークホルダー(利害関係者)と言っています。
ここのところを経営学的に図解すると、こうなります。
ようするに、プロレス団体も企業である限り、ステークホルダーという利害関係者と運命共同体であり、持ちつ持たれつの関係を上手に維持しなければ、成長はおろか、生存もできない、という教えです。
マスコミとの関係性は、その中でも最も重要な二者関係です。
しかし、例の暴露本は、この協力関係が盤石ではなかったことをはからずも示しました。
バカだよなあ、あの暴露本を出した出版社。
結局一方的な物言いでプロレスが貶められ業界が冷え込んだわけですが、出版社は何十万部売ったか知らないけれど、プロレスという金のなる木を自らの手で切り倒したわけですよ。
ロジャーさんの言う通り、プロレス界だけじゃないんですよね、ステークホルダーの皆さんと強固な信頼関係がなきゃ、企業はうまくいくわけないんですって。
K社は何考えてるのか今でもわからないけれど、プロレス界にも問題があったわけですよ。
プロレスの最大の弱点っていうのは、力道山が日本にプロレスを誕生させて以来のアキレス腱ともいえる「八百長論」がつきもの、という宿命的な体質です。
プロレス八百長論、それは浅薄皮相な、多様性のかけらもない凡俗な言いがかりに過ぎないのですが、アンチはそもそも、プロレスラーと関係者の人間ばなれした努力がわからない人たちなのです。
しかし、あの件は、飼い犬に噛まれた出来事であり、経営学的に言えばステークホルダーとのつながりの脆弱さが露呈された、業界の欠点が露呈された事件だったのです。
迷走するプロレス
あの事件以来、プロレスが変容しました。
大技ラッシュ、ワザのインフレ現象は、プロレスラーの潜在意識にあのことがあるからです。
世間の白眼視を身体に感じ、プロレスラーは必要以上に世間に対してプロレスラーのアイデンティティ、つまり、超人的な鍛錬と肉体の強さ、を観客に見せつけるようになったのです。
それはほとんど「強迫観念」に近いのです。
かと思えば、「ハッスル」のように、開き直って必要以上のエンタテイメントを行い、そのやりすぎでかえってひんしゅくを買いました。
プロレスはこうあるべき、昭和のプロレスが正しい、などといいたいわけではありません。
ただ、長くプロレスを見ているものとして、今のプロレスはプロレスの本質を失っているように見えるのです。
言葉を変えれば、普通に塩・コショーで食べれば普通に美味しいステーキを、コーラで焼き上げて「客にウマいか?」と聞いてくるようなプロレスです。
オール・トゥギャザーの前にやることがあるだろ
これに懲りて、プロレス界は利害関係者のキズナをより一層強固にし、コミニケーションを密にしなければなりません。
プロレス協議会だとか、オール・トゥギャザー(オールスター戦)のような組織ができてきました。
しかし、全団体が参加してない時点で、ダメダメです。
あらゆる団体が、ステークホルダー団結という旗印のもと、コミッショナーを任命し、強力タッグを結成することです。
それができないプロレス界は、また足をすくわれるぞ!
野呂 一郎
清和大学教授