プロレス&マーケティング第12戦 プロレスの正体は合気道だった!
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:マーケティングにおいてはモノの見方こそが根本だという視点。プロレスとは合気道だった!オカダの振る舞いに見るプロレスの深さ。トップ画はhttps://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fryujishirakawa%2Fstatus%2F1626130977998381057&psig=AOvVaw27pSUkHoHxtr-_nQTvdd9Q&ust=1677246824593000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwipq9u65av9AhULCt4KHVEKBWsQr4kDegQIARBG
オカダが証明したプロレス=合気道
きのうNHKの武道番組「明鏡止水」を観ました。
なんと一昨日東京ドームの実質メインを務めたばかりのオカダ・カズチカが登場、合気道の達人との手合わせを披露しました。
合気道の技をオカダに試す、という段で、オカダが合気道の四方投げ(しほうなげ:手首の関節を決めて円の動きで投げる)をかけられて吹っ飛んだのです。
僕は一つの強烈な感想を持ちました。
僕は合気道を半世紀やっているので(その割には合気会2級(笑)、これを言う資格があると思うんですが、オカダをふっとばす合気道はすごい、っていう感想じゃないんですよ。
「オカダ、受け、うまいじゃない!」。
これだけなんですよ。
しかし、このシーンこそ、プロレスとは何かを物語っているんです。
プロレスの正体は合気道だったのです。
プロレスは”受けの美学”じゃない
合気道とプロレスの共通点は「八百長」です。
なんてことを。いやいや、そうじゃなくて(笑)、プロレスへの心ない常套句は八百長でしょう。合気道も一部でそう言われることがあるんですよ。
合気道の演武を見て、「あれはわざと技にかかってる」という人がいるんです。
合気道の専門家の僕(笑)に言わせると、そうじゃなくて、あれは投げられるのを我慢すると危ないからです。
もちろん、技の形を反復練習で、かけるほうとかけられる方で行い、繰り返し身体に刷り込む、というのはありますよ。
でもそうじゃなくて、そこで我慢しちゃうと骨が折れたり、関節が外れちゃうからです。だから必然的に飛ばなくては(投げられなくては)ならないのです。
プロレスもそうなんですよ、例えばボディスラムをそのまま大人しく投げられてないと、大怪我をするんです。
オカダの受けに僕が感動したのは、あれはまさに合気道の受け、だったからです。
自分から、相手の力の方向に飛び込んでいっているんです。
つまり、さっきのプロレスの例えで言うと、オカダが体の力を全部抜いて、白川先生がオカダをマットに叩きつける力の方向に自分を委ねているんです。
四方投げで投げられるのも、そこで堪えないで自分の身体を、合気道の先生が投げる方向に「飛ばしている」んです。
オカダ選手は合気道なんて知りませんよ、でも、ああ見事な合気道的な受け身ができるのは、プロレスのリクツとまったく同じだからです。
プロレスの技の受け方が、とっさに合気道技に対してもでているんです。
合気道もプロレスも、八百長ではないですよ、ね。
受けで相手を殺すプロレス
昨日の出演者もしたり顔で言ってたなあ、「プロレスは受けの美学」だ、的なことを。
違うんですよ。
よく芸能人や、プロレス知識人を気取っている人たちは必ず、「プロレスはわざと相手の攻撃を受けているからすごい」なんていいます。
そうじゃなくて、あれは、自分の身を守っているんです。
さっき言ったように、技をかけられたら、合気道のように抵抗せずに、そのまま受けたほうがダメージが少ないんです。
下手に避けたり、避けたりすると、大怪我をしかねないんです。
そして、身体を超人的に鍛え抜いていれば、技をかけられるよりもかけるほうが、スタミナを奪われるんです。
ですから、技を受けるのは相手を消耗させる戦略でもあり、勝つための試合の組み立てなのです。
実際、三沢光晴はあえて相手の技を受けるのは、戦略だ、と言っています。
プロレス八百長論の浅薄さ
よくいますよね、「プロレスなんて八百長さ、勝負は決まっているのさ」っていう手合が。
僕はそういうことを言う人に会うと、申し訳ないけど「この人、バカなんだなあ」って思うんですよ。
自分の頭で考えないで、手垢のついた常識を振り回しているつまらないひとだな、と直感するんです。
ネットで仕入れた情報の受け売りをしているだけなんです。そういうひとは。ネットはそんなことしか書いていませんからね。
僕に言わせれば「プロレスは受けの美学」とかいうのも、受け売りに過ぎません。
プロレスは恐ろしくて、少し好きになるとあなたの「好き」が本物かどうか、試しにくるんです。
プロレスはいじめられている存在だから、あなたの本当の愛が欲しくて、あなたを試そうとする、愛おしい存在なのです。
そこでほとんどの人が、ネットに書いてある常識とか、聞きかじった風聞でプロレスってまがい物なんだ、と思っちゃうんですよ。
まあそれも無理もないかもしれません、元レフリーとか、元プロレスラーでもそういうことを言っている人がいるくらいですから。
でもプロレスラーだから、業界人だから、プロレスがわかっているとは限りませんよ。
そういう人たちは、鳥瞰図的な理解がないんですよ。広い視野で、全体的な視点でプロレスを見ることができないんです。
プロレスに否定的な人たちの特徴は、「実際に生でプロレスを観たことがない」ということです。
これはプロレスだけに限りませんけれど、自分の目で見て、自分の頭で考えずして、物の本質はつかめません。
プロレスの見方は、見る人の数だけあると思います。
いま本質と言いましたけれど、人によってその本質も違うのがプロレスなのです。なぜならば、プロレスは哲学だからです。
オカダの佇まいが示したもの
僕は昨日の番組、オカダ選手が気の毒だったんですよ。
周りが知ったかぶりに「受けの美学だ!」なんて言っている時に、彼は何も言わずに笑っていただけでした。
本音は、「お前たちに何がわかる」だと思いますよ。
だけど、そこは彼は大人だから、何も言わずに笑っているんですよ。
でもあの笑いにプロレスの深みがあるんだと思います。
そこには悲しみもちょっぴりあって、それがファンのシンパシーを掻き立てるんです。
プロレスに試される人間の器
何度も言いますけれど、プロレスに限らないけど、僕らは何かを本当に知ろうとすると、そのものに試されるんですよ。
その対象が深ければ深いほど、その対象はわざと安易な世間的な垢にまみれた常套句を突きつけてきます。
「インチキ」「ショーだ」「八百長だ」と。
多くの人は、その圧力やトリックに騙されて、追求をやめてしまうのです。
しかし、ネットの無責任な決めつけや、俗世間の声に左右されず、自分の目で頭で判断できる人はダマされずに、次のさらなる追求ができるのです。
ほとんどの人は、中途半端なつきあいで「プロレスよ、お前のことはわかったよ」になっちゃうんですね。
プロレスはね、人を選ぶんだと思うんです。
これはプロレスだけじゃないけれど。
プロレスを理解できる人は、前田日明じゃないけれど「選ばれし人」だと思っています。
お前が選ばれし人って言いたいのか?
いや、とんでもない、まだ僕はプロレスという大海の航海を始めたばかりの旅人に過ぎません。
しかし、プロレスとマーケティングの海を渡ろうとしたばかりなんですけれど、すでにその海の深さに溺れそうです。
皆さんと一緒に旅を続け、このプロレスというモンスターの正体を突き詰めたいと思っています。
今日のプロレス&マーケティングを他業種に応用する
1.自分の目で見て判断しろ
プロレスをどうこういう人に限って、プロレスを見に行ったことがない。
アントニオ猪木「てめぇの見たものがすべてだ」。
マーケターのいちばん大事な資質は、自分で見て判断するという姿勢だ。数字やデータじゃなくて、現場に行って感じろ。
2.ネットを疑え
そのものが深ければ深いほど、常識的なレッテルがその理解を阻む。ネット知恵袋とかに書いてあるのが、それだ。
3.プロレスは自分で見て考える訓練になる
エモい観劇の代表がプロレス。でも歌舞伎とも野球とも違う。
五感で何かを感じるはずだ。その「プロレス的エモさ」は一度で十分だが、あなたの人生に新しい感覚という引き出しを増やすことであろう。マーケターとしても、いい資質をつけることにつながる。
4.専門家や業界人を信用するな
もと新日本プロレス営業部長で、長州力がエースだったジャパンプロレスの社長をされていた「大塚直樹(おおつか・なおき)」さんと僕は仲良くさせてもらっている。
大塚さんが最近贈呈くださったご自身の本に、こんな記述がある。
「この業界は、まちがったことを平気で言う人が多すぎる」。
これはプロレス界に限ったことじゃないと思います。
5.自分の「プロレス」を創れ
さっきもふれましたが、プロレスっていうならば「哲学」なんですよ。
形のない、一つの考え方、そう言っていいと思うんです。
ショーだの八百長だのと言っているひとは、その深奥まで踏み込めないんです。
是非、あなたのプロレスを創って下さい。
その意味で、「プロレスはプロレスラーだけの占有物じゃない」んです。
今日はプロレス&マーケティングの外伝という位置づけでしたが、合気道がプロレスに化けちゃったな。すっかり。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
じゃあ、また明日お目にかかりましょう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー