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感動を呼ぶ木更津総合高校生のあいさつ力
事件勃発
ぼくの勤めている清和大学は、千葉県の木更津市にあるんだが、
大学と同じ敷地に同じ学園が運営する木更津総合高校がある。甲子園の常連だから知っている人も多いだろう。(写真はhttps://www.hb-nippon.com/column/437-baseballclub/9343-20150604no199より)
ある時、その事件は起こった。
部活の練習だろう。敷地内を、息を切らせて走っている少年少女たちがいる。上着の白いシャツの背中に、大きくマジックで名前が書いてある。
「拓哉」とか「三郎」とかが躍動している。
帰り道、彼ら彼女らとすれ違った、その瞬間だった。
「こんにちはぁー!」。
僕は「えっ?」と思った。
「俺に?」
でも他の人は誰もいない。
そうだ、見ず知らずのはずの野呂に挨拶をしてくれたのだ。
次の瞬間、僕は感動した。
理屈ではなく、感動したのだ。
挨拶をされる、というのはこういうことなのだな、と思い知らされた。
それは愛のプレゼントだ。そう思った。
あいさつが持つ根源的な力
日本人はなかなか、自分から挨拶ができない。
シャイだから、無視されると嫌だから、めんどくさいから、
色んな理由はあるだろう。
でも、挨拶された方は、どうだ。
僕じゃなくても、感動、いやそれが大げさならば、少なくとも、嬉しい。
挨拶は文句なく人を喜ばせる行為なのだ。
もっと言えば、挨拶は「愛」なのだ。
一生懸命必死で走っていて、呼吸は上がり胸も張り裂けそうなのに、それなのに、すれ違ったあやしい風体のおじさんに、元気な大きな声で「こんにちはぁー」。
僕は感動というか、正直殺されてしまった。その「愛」のチカラに。
挨拶はまさに「愛殺」だった。
挨拶は誰でもできる。
でも、自分から挨拶することは、難しい。
積極性というのは、相手を喜ばせようとする精神じゃないかな。その精神を表す象徴的な行為が、自分から挨拶をすることだと思う。
人を喜ばせたい気持ちが積極性
シャイでもある、めんどくさくもある、リスクもある、でも自分から挨拶する人は、そういう恐怖よりも、相手を幸せにすることが勝る人だ。それが真に積極的な人であり、リーダーなんじゃないか。
それは、誰かが教えてできることでもないような気もする。
それにしても、彼ら、彼女らは、誰に習って見ず知らずの、
一見大学教員なんかには全く見えない、変なおじさんを
喜ばせようとするのか。
それはその一回じゃないんだ、毎回だよ。
そのたびに元気をもらう。
自ら挨拶をするのは積極性のトレーニング
先生方がそうしろと教えているとすると、凄い先生たちだ。
自分から挨拶することは、本当の積極性を自分の中に
養う行為であり、教育の真髄と思うからだ。
自分たちで自然にやっているとすれば、彼ら彼女らは才能がある。
必ずグローバルなリーダーになるだろう。
清和大学にも、多くの木更津総合高校生が毎年入学してくれる。
彼ら彼女らは、例外なく素晴らしいポテンシャルの持ち主である。みんな自由で個性的なのを見ると、やっぱり、誰かに言われて僕を喜ばせているのではないのかもしれない。
今日も読んでくれてありがとう。
また明日ね。
野呂一郎