見出し画像

いい大学に入り出世したあなたが失ったもの。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:文化という見えない力こそが経済力の源泉。なぜ日本にイーロン・マスクが現われないかの理由。子供のころあなたが受けた教育があなたを日本では成功者にしたが、あなたの本当の力を奪い、世界に損失を与えたかもしれぬ事実。以上に関する考察。

経済は文化が創る

岸田経済政策を考えるシリーズを勝手にやってますけれども、結局はさ、「文化を変えないとダメ」かなあ。

きのう、「証拠隠滅文化」って言いましたけれども、いや違うか、データ隠滅文化か、でも、悪質ゆえ証拠隠滅文化のほうがいいね。

あのね、皆さん、(今日はタメ口になってるな)、文化っていうのはね、長年というか、その国の始まりから何世紀も積み重なって、変わらない価値体系、価値観のことなんですよ。

これが我々を縛っているんだ、よくも悪くも。

それは外国で生活した経験のある人は、絶対にわかりますよね。     

その国の強さ、弱さって、やっぱり文化にあるんだ、そう思いますよ。

アメリカは、色々僕の力を伸ばしてくれたと思うし、その意味で博士課程をアメリカでやれれば、今の情けない自分とまったく違った能力が身についたんじゃないかと思うことがありますね。

僕はアメリカで中学生に日本語を教えていたのですが、アメリカ文化を強烈に感じた出来事があったんですよ。

それは、急にある生徒が席を立ってどっか行っちゃったんです。トイレに行って帰ってきたのがわかったんですが、その子だけじゃなくて、みんな入れ代わり立ち代わり立って、トイレに行って帰ってくるんです。

画像5

日本人の感覚だと「おい、先生に黙って席立つな」ってことなんですが、これが彼らの流儀なんですね。

用があれば用を足すのに、他人の許可なんていらないだろ、という態度です。

アメリカ人の先生もこうした子どもたちの態度を咎めることは一切ないので、これはアメリカの流儀、文化だと思います。

アメリカには、時々、海でこういうサインボードを見かけることがあります。

画像6


Swim at your own risk                                  (泳ぎたいなら泳いでいいけれど、自分の責任でね)。

自分で判断して、自分で行動しろ、でも結果は自分で負えよ、という哲学がそこにはあります。

日本人はなにかやるときは、必ずキョロキョロ見回します、他人がどう思うかをまず気にします。

自分一人で何か言うことすら、ない。

50年前の予備校で、200人生徒がいて先生が「これ間違えたもの?」と聞いたとき、僕だけ手を上げたら、「お前は周りを見ずに手をあげた。珍しいな」みたいなことを言われました。自分が教師になると、質問は?と言って手を上げた生徒は今まで皆無でした。

画像4

発言すら、まわりを見て、しない、これが日本の文化なんです。

質問をしない文化は、自分だけが目立ちたくない、しゃべること自体が和を乱すことで、空気を読めない行為として禁忌事項なのです。

こんな文化、つまりフォロワーの文化ですよね、言ってみれば、そんな文化の中で、ビル・ゲイツやザッカーバーグや、イーロン・マスクみたいな自由で、未来を切り開くような企業家精神に富んだビジネスリーダーが出るわけもないでしょ。

あなたはイーロン・マスクになれたのに

画像1

いや、あなたは今、成功してますよ。

東大やいい大学出て、それなりのポジションにいる。

でも、あなたも僕も、こうしたフォロワー文化で育って、牙が抜かれちゃってるんだよ。知らないうちに。

鉄は熱いうちに打てとはよく言ったもので、もうそれは、あなたが野球部にいた頃から、バスケ部にいた頃から、頭を押さえつけられて、先輩や、コーチやOBに異論も言えず、服従を強いられてきて、教室では先生のいうことを、質問などせず、せっせとノートにうつした。

画像2

その結果、いい大学に入れて、それなりの人も羨む肩書きも持った。

でも、です。

あなたも僕も、大切なものを失った。

それは、リスクを犯す勇気です。
それは、自由な精神です。
それは、空気を読まずに、発言、行動するおおらかさです。

それこそが、人間の無限の成長の、経済発展のエンジン。

あなたはそれだけ優秀なんだから、アメリカで育ったらビル・ゲイツになれたんだ。

これが文化っていうものなんだと思う。

もちろんね、これはある種の守りの文化であって、それだからこそ、競争はないけれど、社会主義的な平和で平等な社会ができ、維持されているんでしょう。

中国が国家資本主義ならば、日本は共産主義的資本主義、じゃないかなあ。

僕も、終身雇用を維持せよとは言っている。

でもそれは日本の文化が変わらないから、という条件が付きます。

今更、競争なんて、セーフティネットがなければ、日本の文化では出来ないと思うからです。また、アメリカ文化の弱者切り捨ては行きすぎだと思うからです。

しかし、小さい頃の、本来人間がのびのびと発揮できる気風を育てられないのが、日本の文化ですよ。

これは、あなたにとって果たして幸せなことだったのか?

あなたは、余裕の笑いでぼくの話を聞いてくれているでしょうね。

功成り名を遂げているから。

でも、それは国家としてどうなんだろう。

個人としても、僕が秋元康だったら、「もったいない。こいつは官僚になるよりも、梶原一騎になれたのにもったいないな」と、思うかもしれない。

これから、守りの文化、フォロワー文化の国は、成長しないと思う。

高度成長時代ならば、フォロワーで良かった。

今は、新しい試みをいかにやって、それを試行錯誤して、システムにする 人材が求められているわけでしょ。

フォロワー文化では、そういう人材が育たないよ。

答えがあり、それをコピーできる人材は育つけれど、自分で考え、異論を持ち、違うアプローチを試み、人と違う考えや行動をする人間は育たないよ。

岸田さんが、どんなに新資本主義とやらを推進しようとね。

そのパワーって、東大至上主義がまた戻ってきた。見てご覧、テレビで今日も「東大王決定戦」とかやって、東大をまた持ち上げちゃってるよ。

画像3

保守回帰の日本では生み出せないよ。フォロワー文化にマイナス回帰しちゃってる。

文化の影響は強い。

明日はね、なぜ、女性がトップになれないかをこの文化の問題を中心に考えるよ。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた明日お目にかかりましょう。

                             野呂 一郎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?