真夏の怪談シリーズ3 スプーン曲げはディープフェイクの応用か?
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:超能力者ユリ・ゲラーのビジネスマンとしての側面。ディープフェイクとスプーン曲げの共通点。超能力者の秘密は哲学かも。トップ画はhttps://qr1.jp/WcgRBI
成功したからユリ・ゲラー
結局ユリ・ゲラーのすごさとは、超能力うんぬん、じゃないんですね。
成功してきた、というただ一点です。
50年間、公演、テレビ出演、ビデオ、DVD、本、ワールドツアーなどを重ねてきて、億万長者になった、そこです。
スプーンを曲げることができる、それだけなら、それだけならやれる人もたくさんいるし、「超能力だ、すごいね」で終わりです。
でも、ユリ・ゲラーは50年間、毎回毎回、会場に集まった満員のお客さんを説得させ、驚かせ、楽しませ、満足させて帰させてきたのです。
一体、ユリ・ゲラーの作る超能力経済の秘密は何なんでしょう。
超能力者はエンタテイナー
近年、ゲラーは「エンタテイナー」と呼ばれることに躊躇がありません。
ある公演で、彼はこんなことを言っています。
「僕は世界で最高の宣伝マンさ。僕のテクニックを使えば、コカコーラだろうが、車だろうがなんだってプロモーションできるよ。もちろん結果も最高だ」。
2020年に行われた、あるマジシャンの大会で講演したユリ・ゲラーは、新ネタを披露しました。
それはこんなパフォーマンスです。
ゲラーが観客に手のひらを開いてみせます。そこには、グリーンの種がありました。
ゲラーは大観衆にこう呼びかけます。
「さあ皆さん、皆さんの力で、この種を発芽させましょう。さあ、声を揃えて『Sprout(発芽しろ!)』と言って下さい。
「発芽しろ!」
みんなの「発芽しろ」、コールが終わると、ゲラーは静かに手のひらを開けて見せました。
そこには種じゃなくて、グリーンの野菜があったのです。
ユリ・ゲラーはディープフェイクだ
ニューヨーク・タイムズは、ユリ・ゲラーの演出を”ディープフェイク”に例えます。
ディープフェイクとは、ディープラーニング(AIの深層学習)とフェイク(偽物)を組み合わせた造語で、AIを応用し、動画の中の人の顔などの一部を入れ替える技術のことです。
例えば、昨年だったか、ウクライナのゼレンスキー大統領が、プーチンに向かって「降参する」と頭を下げている動画が流れました。
嘘、です。フェイク、です。でもこれがディープフェイクです。
では、ユリ・ゲラーのどこがディープフェイクなのでしょうか。
ニューヨーク・タイムズの紙面を読んだだけではわからないので、あくまで俺流の解釈でお話しますね。
スプーン曲げもディープフェイクも共通点があります。
それは、観客が可能と思っていることと、現実目の前で起こっていることの間にギャップが生じていることです。
つまり信じられないことが起こっている、わけです。
スプーンなんて曲がるわけない、でも僕が今目の前で見ている現実は、スプーンが曲がっている。
ゼレンスキーはプーチンに降伏するなんて言うわけない。
でも、この映像はゼレンスキーがプーチンに「参りました」って、へいこらしている。
ディープフェイクの材料は、イメージ、動画、音声です。これをデジタル技術を使って変えてしまうわけです。
でも、それは今のAI、デジタル技術を使えばカンタンですよね。
ユリ・ゲラーは、これをアナログでやっているというところがポイントです。
じゃあ、どうやってやるんだよ、スプーンを曲げるイメージを創るんだぜ?
やっぱりわかんないですね。
それがわかったら、僕もユリ・ゲラーですもんね。
でもヒントはありますね。
先に上げたユリ・ゲラーのステージ度胸、自信満々な「世界一の宣伝マン」、「俺のテクニックを使えばだれでも最優秀マーケター」などの発言を考えると、度胸満点のハッタリ、という仮説が浮かんできました。
ハッタリで奇跡が起こると信じさせるのです。そうすると、集団心理かなんかでエネルギーが巻き起こり、事態が変化するのです。(ほんとかな?)
天才の哲学とは
最後に、さっきお話したマジシャンの大会のあと、ゲラーがある若者を諭した、というお話をしましょう。
彼の信念というか、哲学が見て取れ、それが彼の超能力に関係していると思うからです。
「発芽しろ」パフォーマンスが成功したあと、質問コーナーで、マジシャンの若者がこんな質問をしたのです。
「さっきゲラーさんがやった、あの発芽のパフォーマンス、アレはマジックですか?緑の野菜とすり替えたんですか?」
ゲラーは怒るより、むしろ面白がる風情でこういったそうです。
「ねえキミ、本気で言っているのかい。僕は今73歳だよ。僕がいまさら『あれはトリックでした』なんて言うと本気で思っているのかい?」
「人間修行が足りないねぇ(原文ではGet a life!)」。
僕はここに、ユリ・ゲラーの超能力者ではなくて、人間観察者としての真骨頂を見る気がするのです。
野呂 一郎
清和大学 教授