キッシンジャーという集合的無意識。
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:米国歴代最強の外交官、ヘンリー・キッシンジャーの正体は個人でなくてアメリカだった、という訳のわからない論。政治を解くには政治学でも、経済学でもなく、「ムー学」(笑)だ、というもっと変な説。でも、これで自民党が救えるかも。トップ画はhttps://qr1.jp/Io2ltj
またトイレでひらめいた
きのう、トイレのスピリチュアルなどと、大層な論を唱えて読者の皆様を呆れさせたばかりですが、いままたトイレに行ってきまして、何かが降りてきました(笑)
予告したように、今日は、先日100歳でなくなった、米国の国務大臣ヘンリー・キッシンジャーさんの是非について考えるつもりで、その切り口が「政治学vs経営学」で行こう、と「トイレの花子さん」が教えてくれたんだよ、と自慢しましたよね。
いや、今日は別の花子さんがでてきて、「いや違う。キッシンジャー論は政治学でも経済学でも経営学でもない。」と言うんですよ。
じゃあ、なんだ?と聞いたら。
「集合的無意識」だとか、言うんです。
また「ムー」かよ、と思ったんですが、ちょっと聞いてください。
政治も経営も、結局「人」だけれど
僕らのように昭和の世代は、キッシンジャーさんといえば、アメリカ外交の象徴なんです。
ベトナム戦争、イラク・イラン戦争を裏で動かし、そして戦後の米中接近を実現した、米国の歴史上最も切れ者の外交官、と言われていました。
ニクソン政権およびフォード政権期で、国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を務め、ノーベル平和賞受賞者でもあります。
ニューヨーク・タイムズWeekly 2023年 12月 10日号では、Lessons from Kissinger's triumphs and catastrophes(キッシンジャーの大勝利と大厄災からの教訓) と、題して彼がアメリカに、そして世界にもたらした功罪について論じています。
記事の結論は、こうです。
キッシンジャーはハーバード大学大学院で政治学の博士号まで取り、首席で卒業した、優秀な学者でもあり、外交官としての実務も優れてたことは、この記事でも明らかです。
経営学から見たキッシンジャー
結局経営学の急所は何か、って言ったら人事です。
誰をどのポジションにつけるか、です。
適材適所ということですよね。
キッシンジャーを大統領補佐官に任命したのは、ニクソン、フォード大統領ですよね。
要するにこの二人の大統領が、人を見抜く力があったというわけです。
しかし、考えてみるとキッシンジャーの人事って、大統領が決めているんじゃなくて、ホワイトハウスつまり米政府という組織が決めているんです。
つまり、経営学的に言うと、人事って人的資源管理というジャンルじゃなくて、組織論なんです。
でも、ここでさっき、トイレの花子さんが、僕の耳にささやいたんです。
政府の人事は「ムー」が決める?
これが企業であれば、人事は組織の価値観や内紛の程度で決まる、と言えますが、政府の人事は、やはり人民が決めるのです。
もちろんホワイトハウス内の権力争いで決まる、ともいえますが、やはり為政者は世間を、つまり人民にそれが受け入れられるかを考えるのです。
人民の気持ちとは、ムー的に言えば、「集合的無意識」、つまりアメリカ国民がみんな「これがいい」と考えている価値感、です。
ベトナム戦争から、イラン・イラク戦争まで、ざっと振り返ると、アメリカはハードパワーの王者、つまり圧倒的な世界一の軍事大国でした。
それゆえ、おごりがあったのです。
外交においてそれは顕著でした。
キッシンジャー外交は一言で言えば、アメリカの利益になるならば、アメリカが直接、間接に戦争に加わる、内戦を仕掛ける、というものでした。
キッシンジャー外交の是非が言われますが、結局、キッシンジャーはアメリカ人の集合的無意識に導かれて、外交を展開したに過ぎないのです。
結局、個人も集団の無意識で動かされてる
キッシンジャーは中国では、米中正常化、米中貿易の隆盛をもたらした救世主として、いまでもあがめられています。
昨年7月には、習近平氏に招かれて訪中し、ワシントンの顔を潰し、「大統領もいけないのに、民間人が招待されるとは」と皮肉を言われました。
彼の外交力、見識の一端を示すエピソードですが、僕はキッシンジャーは、アメリカの「無意識」に従って行動しただけ、だと思うんです。
信じるか、信じないかはあなた次第です。
野呂 一郎
清和大学教授