プロレス&マーケティング第59戦 オカダAEW参戦にみる「プロレスも日本の時代」。
この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:新日本プロレス退団のオカダ・カズチカが米新興団体AEWへの電撃参戦が発表された。この裏には世界のプロレス界における、日本の影響がある。プロレスというマーケットはWWEの占有と思われがちだが、日本のプロレスがその潮流を変えつつある。
なぜ、「闘魂スタイル」なのか
プロレスリング・ノアを退団、フリーとして全日本プロレスに参戦し、いきなり三冠ヘビー級王座を奪取、みずからのプロレスを「闘魂スタイル」と名付け、物議をかもしているのが中嶋勝彦です。
闘魂といえば、アントニオ猪木の代名詞で、ノアから全日本プロレスに転じた中嶋が、この言葉を使うことに違和感を感じたファンは多かったと思います。
ノアと全日本はアントニオ猪木の”反対概念”であるジャイアント馬場の影響下にあるプロレス団体であり、特に馬場お膝元の全日本プロレスのマットでそれを叫んだことで、不協和音が広がったのです。
僕はこれは中嶋選手の「プロレスの定義は選手の数ほどある」という、宣言じゃないかと思っているんですよ。
中嶋選手の師匠が元・新日本プロレスの佐々木健介で、猪木の流れをくんでいるから云々ではなく、「闘魂スタイル」は彼のそんなことを超えた自然な心情の発露だったのではないでしょうか。
プロレスとは何か
いまさら「プロレスとは何か、などと青臭いことをいうな!」、と言われてしまうことを承知でお話しましょう。
僕は「プロレスとはおのれの肉体で表現する芸術である」、と思っています。
しかし、先ほど中嶋勝彦に僕が勝手に言わせたように「プロレスはプロレスラーの数ほど定義がある」のが実情ではないでしょうか。
中嶋選手は、ストロングスタイルだの、ショーマンスタイルだのの区分けが嫌だったので、そしてちょっとプロレス界に刺激を与えてやろうという茶目っ気も手伝って「闘魂スタイル」という言葉を口にしたのです。(ほんとか?)
プロレスには常にガチか八百長かという論争がつきものですが、そんな下衆の勘ぐりをいとも簡単に粉砕する、真剣勝負を超えた命のやり取りが数多く行われてきたことが、その答えといえましょう。
ただ、申し上げているように、プロレスのスタイルは、さまざまです。
WWE対AEW
この間The Wall Street Journalが、AEW(オール・エリート・レスリングAll Elite Wrestling)を取り上げた記事を読んだのですが、ビジネスという観点から、WWEとAEWを比較していたのが大変興味深かったです。
英語で一言でいうと、WWEはscript(スクリプト=脚本)AEWはchoreography(コレオグラフィー=振り付け)です。
あくまでこれはThe Wall Street Journal流のビジネスという視点から見た、両者のプロレスのカテゴライズに過ぎないことを、ご理解下さい。
要するにWWEは「脚本」があり、ビジネス主導で行われるプロレスであり、AEWは「振り付け」すなわち選手が自由に動き、試合の組み立てを構成する、選手主導のプロレスということです。
僕があえてこれを解釈すると、「WWEが主催者がガチガチの演出で”エンタテイメント”を作っているのに対し、AEWが予定調和よりも選手のインスピレーションを重視した”スポーツ”を目指している」、となります。
もちろん、これはどちらがいい、ということでもないし、プロレスはこうあるべきだという私見を皆様に押し付けるものではありません。
ただ、これは言えると思うのです。
いまプロレスの世界で、ビジネス的にはWWEの世界観が一人勝ちの様相を呈しています。
それは世界に配信されるWWEのストリーミング中継が、何千万もの有料視聴者を得ていることで明らかです。
しかし、AEWはWWEとある意味正反対な路線で、WWEに飽き足らないファンを徐々に獲得しています。
この事実は軽くない、ということなのです。
世界のプロレスも「日本の時代」
AEWとはいったい何か、誤解を恐れずに言えば、それは日本のDDTで活躍した創始者のケニー・オメガのプロレス哲学です。
つまりAEWとは、日本のプロレスそのものなのです。
今回、オカダ・カズチカがWWEではなくて、AEWを選んだのは、ごく自然な成り行きでした。
僕が今日、一番言いたかったのは、プロレスのスタイル云々ということもありますが、日本が世界のプロレス界にも影響を与え始めている、という事実です。
日本の時代、なのです。
野呂 一郎
清和大学教授