合気道・四方投げは教育に応用できるか。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:合気道の四方投げに見る、武術の理に関する考え方の違い。しかし、一見どうでもいいことにみえる武術のトリビアが、学生・社会人教育にも通じるものがあり、応用もできるかもしれない。トップ画はhttps://x.gd/DEXel
合気道の教え方は2つある
今日のテーマは、note界の「知の覇王」、武智倫太郎先生の合気道に関する考察を元に、「教え方」について考えるものです。
熟達の合気道家であることが、バレてしまった武智先生ですが、武道だけでなくまだまだ隠しているとんでもないスキルをお持ちのようですよ。
謙虚はヤダとかおっしゃっていますが、実際は随分謙遜されているのです。
また、彼はお茶目なところもあり、たまにひとを試すこともあります。
先日僕の合気道に関する記事にコメントを下さり、それはある種、僕の合気道の理解の程度について試すもので、謎掛けでもあったのです。
もちろん、武道家ゆえに攻撃の意図を悟らせないように、そんなことはおくびにもだしません。
ただ、合気道界に存在する、大きな2つの考え方を、なんとなく僕に示しただけです。
いや、それすらも、僕には言わず、動画を見せてくれただけです。
でも、僕は、彼がこういう問いを投げかけてきたことを悟りました。
それは、「合気道においては、技をひと息にかけるのか、それともいくつかのプロセスに分けるのか、どっちが正解だと思う?」という質問です。
武智先生は、四方投げという合気道の基本技を例に取り、動画を私に見せてくれました。
どちらが正しいのか
四方投げとは合気道の基本技で、相手の手首を極め、相手の中に入り込み、そのまま腕を掴んで上段にあげ振り下ろし、動けなくする一連の動作です。
この四方投げを、ある流派は
1.流れるように一挙動(一動作)で行う
またある流派は
2.技の動作を3つに分け、分解し、それぞれのパートに意味をもたせ、三挙動(三動作)で行う
のです。
僕のような半端な合気道修行者が、この2つの考え方を論評するのは憚られますが、あえて経営学的な、教育的な立場から考えてみましょう。
1挙動の考え方
これは「流れ」を大事にする考え方ですね。
合気道は例えてみれば「水」です。
水は接触するあらゆるものに融合、調和し、自分の姿を変えます。
熱に接触すれば湯に変わりますし、四角い枡に入れられれば、四角に姿を変え、上から流れてきた水は下に落ちます。
合気道は水であるなら、その勢いや流れは自然に任せたほうがいい、となります。
自分から攻撃を仕掛けないのが合気道ですから、四方投げも相手が仕掛けてきた力を利用するわけです。
ですから水のようにそれに逆らわず、「流す」のです。
そう考えると、ワザの流れを重視した「一挙動」のほうに「理」があるように思えます。
3挙動に分ける考え方
まず、相手の手首を伸ばし身体のバランスを崩し→中に入り→手を取って振りかぶり斬りおろす。
これこそ正しい、合気道のワザのかけ方である、とする考え方です。
考え方は理解できます。正しいです。
しかし、技を分解し、それぞれのパートに意味を持たせているので、全体としての流れ、勢いは削がれてしまう感じがします。
教育への応用
学生を指導する時に、例えばプレゼンテーションの実習などをイメージするとよいと思いますが、チャツチャ、とやってしまう学生がいます。
四方投げでいうと、一挙動で「流れ」を重視するタイプです。
僕はこのようなパフォーマンスをする学生には、「グッドジョブ!」の一言を発するだけにしています。
これとは反対に、きちんとプレゼンテーションを作り込んで、序章、中盤、終盤に意味をもたせ、緩急やクレッシェンド(次第に強くする調子)をはっきりつけたパフォーマンスをやる学生もいます。
言わば、全体を分解し、それぞれのパートに意味をもたせしっかりやり、それらプロセスをつなげて、ひとつのパフォーマンスとするやりかたです。
僕はこのようなパフォーマンスをする学生にも、同じく「グッドジョブ」を与えることにしてます。
読者の皆様は「笑わせんなよ、何やってもグッドジョブって、『探検ファクトリーかよ』!」とあきれてらっしゃいますね。
「どっちも正しい、が正解だからしかたないんですよ」、って勝手に思っているだけですが。(笑)
ただ、流れに乗って一気呵成にプレゼンテーションをできる学生は天才肌で、だから、それを活かせという推しをしたいのです。
方や全体を分解するような学生は、僕の個人的な好みであり、文字通り「分析派」ですので、これも分析力を伸ばしてあげたいのです。
武智先生は、この僕の勝手な解釈を笑ってたしなめてくれるかな。
野呂 一郎
清和大学教授