高校生をほめたらあとでびっくり。鶴の恩返しかな(笑)
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:ほめられることで、キミの人生が変わる可能性は、ある。ほめられるのは一つの出逢いかもしれない。もっとも、ほめる大人がキミの素晴らしい本質をしっかり理解していることが条件になるけど。以下のお話は実話だけれど、プライバシーに配慮して若干脚色してあるよ。
意外な訪問者
僕の大学の研究室は鍵もかけず、オープンにしてあるんですが、ふと見ると、ドアの入口でこちらをじっと見ている人影がいます。
「どうぞっ!」と声をかけ、座るように促すと、息せき切ってその学生は話し始めました。
「1年生なんですが、入学面接の時に、先生が担当だったんです。その時に色々ほめてもらって、うれしくなってこの大学に来ました。ずっとあいたくて先生をネット検索なんかもして、この研究室だなと思ってきました」。
その学生は、こう続けました。
「わたし、変な質問をしたんです。『人生ってなんですか?』的な。そのことを先生はすごくほめてくれて、いつも変なことを言う子だ、みたいに言われていた私は、舞い上がるほどうれしくて・・・」
高校生をほめないと
いや、これは僕のほめが上手だ、なんて言う自慢話ではないんです。
ただ、一人の大人としてこう思うんです。
あらゆる機会を捉えて、若者をほめなくてはいけない、と。
入学面接などは、ほめることのできる数少ないチャンスだと思うんです。
志望動機だとか、高校時代何やっただとか、価値観だとか、思い出だとか、プライバシーに触れない限り、聞き出すことができるからです。
面接者の役割は、ビジネス的に考えると、優秀な学生を見極めて、入れることです。
学校とその受験者がマッチするかも、面接のポイントでしょう。
でも、僕は何かその高校生の良さを見つけて、教えてあげたい、その一念で面接をしちゃっているのです。
確かに優秀な入学者は一人でも多くほしいから、高校はどんな科目が好きでしたかとか、将来の進路はとか、お勉強方面の話を聞き出して、学校とのマッチングを考えることが、フツーのやりかたです。
でも、もし何か彼が彼女が気がついてないかもしれない美点があれば、それを指摘すること、この方がずっと大事だと信じているのです。
なぜならば、それは大人の義務だからです。
若者の長所を見つけて、ほめることで社会はよくなるからです。
自分の大学の利益になるかならないか、も大事で組織人の義務には違いありませんが、まずはこれからの日本を、世界をになう若者を、ウナギ・サヤカじゃないですけれど「査定」してあげることが大事とかんがえるのです。
ほめることは難しいけれど
僕はその学生に気づかされました。
「お前は最近ほめてないじゃないか」と。
きのう、学生が帰ったあとすぐ授業だったのですが、反省して、教室入場のときにあたりを見て、カッコいい角が生えたキャップをかぶっている男子をほめました。
その男子のプロレスラー的たたずまいに、とても映えていたからです。
それに反応して口笛を吹いた学生も、「そのよけいな動作がスキだ」とほめました。
それを見て笑ってくれる女子学生も、ほめました。
「スマホ眺めて下向いてるのが普通だろ、でもキミたちは僕に反応してくた。それだけでもいいコミュニケーターの素質があるよ」といい添えました。
こころなしか、その日の授業は、なにか雰囲気が良かったと感じた次第です。
ほめるのは難しいけれど、難しく考えず、こころに感じたポジティブなことを言えばいい、最近はそう思うようにしています。
野呂 一郎
清和大学教授
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