紅白、有吉はソロでよかったのでは。
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:珍しく紅白を見て、司会者・有吉弘行の歌のパートで感じたこと、それは来年の予兆なのか(笑)。
有吉+藤井フミヤの違和感
いま、紅白を見ていて、有吉弘行がかつての猿岩石時代のヒット曲「白い雲のように」を、藤井フミヤとデュエットで歌っていました。
僕は、すごく違和感があったんですよ。
有吉にソロで歌わせたほうがよかったんじゃないか、と。
藤井フミヤの歌がうますぎて、有吉のよさが出てなかったからです。
有吉も、前フリで「下手だけれど、気持ちを込めて歌います」って言っていました。
しかし、コーラスやらデュエットに仕立てたこの楽曲では、完全に藤井フミヤのきれいな歌声が勝ってしまい、有吉の「下手さ」が感じられないのです。
歌は魂だ
猿岩石というお笑いチームのときには、有吉ってつまんねえな、というのが世の中の評価でした。
それはなぜかと言うと、「無口のキャラ」という事務所の戦略を演じていたからでした。
それから、「あだ名つけ」で毒舌キャラとしてブレイクし、紅白司会まで成り上がった有吉、様々な苦労の末に築き上げたものが、歌の中に滲んだはずです。
猿岩石時代の「白い雲のように」の有吉から、成長した有吉をその歌声の中に見つけたかったのです。
でも、藤井フミヤと組ませて、有吉の味が消されてしまいました。
有吉の魂みたいなもの、それはすでに、あの猿岩石時代に聞こえていたのかもしれません。
人々は、あの頃から無意識のレベルで、有吉にひかれていたのかもしれません、ってまたムーかよ。(笑)
下手という、うまさ
今になってみると、いや、それは有吉がビッグネームになったからかもしれませんが、有吉のあのへたな歌は、やっぱり魅力があったな、と思うのです。
特に、今回藤井フミヤがうまく歌いすぎたので、「有吉のあの下手な歌が聞きたかったな」という思いが強いのです。
それはとりも直さず、「うまく歌うことだけがいいわけじゃないんだな」という気づきです。
素人のよさだったり、訓練してないがゆえにむき出しになるその人の個性とか、いじってない感性だとか、そんなものに価値があるのではないかと、ふとおもったのです。
今の時代は、何でもかんでもマーケティングで、分析だとか戦略だとかが幅を利かせています。
また、人々は努力や苦難の末に手に入れた練達というものを、重視しすぎているような気もするんです。
もっと素のままを出したほうが、受けるし、いや受けるという言葉はマーケティングだな、人々は素のままを欲しているんじゃないか、そんなことをふと思ったんですよ。
年末の紅白で、感じたことって、何かこの1年の僕の溜まりに溜まった怨念かもしれません。
来年は、こうした直感を大事にしようと思います。
またそれよりも、なによりも「素を大事にしよう」と
決意しました。
もっと自分のままでいいんだな、という気づきです。
皆様、今年1年、ご愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
野呂 一郎
清和大学教授