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note大学構想

高校生の皆さん元気ですか
さて、大学の教師の新しい定義について考えているのだが、noteをやっていると結構いろいろひらめく。

note大学はどうだろう。

うん、知っているよ、note編集部がnote大学みたいなことをやっていること。高校に出張授業をして、表現について講義をしているという話も聞いた。他にも自分大学とも言うべき、研究会とかクラブを主催されている方々もたくさんおられる。

まあ僕のいうnote大学も、noteの機能を使えばそれできるじゃんということなのだが、カリキュラムをしっかり作って、その講義の科目名と内容を、教える側とnote編集部そして外部委員会で定義するということが、違うと思う。

Noteでひらめくと言ったが、昨日「怪奇経営学」の話をしたときに、いや違うわ、大人向けの昨日のコンテンツそう五輪のアサヒビールの話をしたときに、スポンサーという話題が出た。それでピンときたんだけれど、note大学は企業にスポンサーになってもらう。無料の大学だ。

note大学の組織

note大学は学長も置くし、教授陣も置く。当然事務局も置くし、ガバナンスをチェックする外部第三者委員会もおく。

カリキュラムと教員

まず、noteでどんな科目と内容を提供するかを、第三者委員会とnote編集部で決めたあとに、教授陣を任命する。従来の経済学部とか工学部とかの枠組みにはもちろんこだわらない。noteが作った大学とはどうあるべきのコンセプトのもとに、学部と科目を決める。もちろん、大学のこれまでの形式に倣う必要もない。

もちろんこれは文科省は認定しない。

でももしこの大学を卒業した人たちが社会でとんでもない働きをどんどん見せたら、本当の大学だ、本当の実力をつけてくれる。

東大に代わる学歴だ、と社会が認定したら、本当の”権威“になる。その時世の中は変わる。

Noteは絵も動画もつけられるし、パワーポイントを埋め込むこともできる。

ポイントはnoteの真骨頂である、テキスト中心、ということだ。

YouTubeは動く絵ということで、内容がごまかされてしまうことがある。

テキストはね、ごまかしが効かないんだよ。まず体系を示して、それから各論に進むという流れをはっきりさせないと、講義にはならないからだ。

シラバスと著作権の問題

だから教える方はシラバスと呼ばれる授業設計図を提出し、第三者委員会がそれを精査する。YouTube講義ではこれができない。

問題は著作権だよね。スポンサーがつくということは、商業活動ともとられるので、動画や絵や写真等使うときには著作権の問題が出てくる。これもnote編集部と第三者委員会で取り決めを作ってもらう。

教授陣は候補者を募り、審査するのだが、シラバスの出来と、わかりやすさのみで審査する。もちろん学歴、年齢、国籍、ジェンダーなどは一切問わない。Noteが新しい時代の本当の学びの体系を創るのだ。

橋本真也じゃないけれど、「時は来た」。

コロナで世界は一変した。このタイミングでnote大学、だ。

大学教員を外に出そう

新しい時代の大学教員は、note大学教員も兼ねることにしたらどうか。

常々思っているのは、大学教員はもっと社会に出てその知見なり、経験を広く人々と共有しなくてはいけないんじゃないか、ということだ。

もちろん世間の人が考えるよりもずっと大学教員は忙しい。教育も準備が授業の10倍かかるし、論文も本も常に書いてなければならない。研究の暇がないくらい、今は大学の雑務が忙しい。だから、5年に1年、大学を休んで世間に出ていって、全国の高校を回って出張授業みたいなことをしたらどうだろうか。

この大学教員という資源を世間に共有させるべしとの考えの中に、note大学構想が出てきたというわけだ。

ちょっと実験的にきのうの「怪奇経営学」を30回シリーズでnoteでやってみようかな。Noteはいろいろな可能性があって、いいね。

今日はこれまで、また明日会おう。

                             野呂 一郎


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