秋がきても悩まない若者の危機。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:秋でも秋じゃなくても悩まないのが今時の若者だ。スマホに心身ともに侵され中毒状態になっていれば、物理的に悩むことができない。健全な大人になるために、悩むことは自分を確立するために絶対に必要なのに。人間は弱いものだ、そこをついてくるのが欲望の孵卵器である資本主義。若者は悪くない、悪いのはスマホを作った悪魔の経済哲学だ。
悩まない若者
きのう、秋風はもう吹かなくなったので、あなたはもう悩まない、
それが心配だ、などと申し上げました。
でも、悩まなくなった、悩めなくなったのは大人のあなただけではありません。
若者も悩まなくなってしまった、しまったのです。
いや、若者は秋が来たとか来ないとか関係なく、1年中悩まなくなっているのです。
その犯人は地球温暖化ではありません、スマホです。
若者はみんな寝ても覚めても、スマホの画面をのぞき込んでいるばかり。
一年中悩みがないというのはもちろん大げさですが、若者は眼が指がスマホから離れず、物理的にスマホ中毒になっているがゆえに、悩みという意識を持ちえないのです。
自分の趣味に彩られたスマホの画面は、マーケティングという資本主義の悪魔が創ったかりそめの楽園です。
悩みがあっても、お気に入りがぎっしり詰まっているスマホの画面を見れば、そんなことは忘れます。
若者は朝起きてから、寝るまでスマホを手放すことはなく、トイレでもお風呂でもベッドでも常に一緒です。
でも、スマホの画面は楽園などではなく、一回はいると抜け出せない底なし沼いや、「地獄」なのです。
悩みが自分を大きくする、のだけど
スマホ中毒の若者たちを見ると、何かに乗っ取られているんですね。
スマホという悪霊に憑依されているのです。
「おい、おまえ、憑かれているよ」、と肩を揺さぶってもびくともしません。
社会生活に支障が出ないわけは、ありませんよね。
授業はもちろん聞かない、友人はいるけれども、スタバに行っても、向かい合って座るもののすぐスマホを取り出して、無言を貫きます。
若者が表に出てこない
スポーツや音楽は別ですが、こんなに矛盾や不正が横行している世の中で、妙に、声を上げる若者がでてこないと思いませんか。
僕は、若者がスマホで骨抜きにされていると思うのです。
悩むとは、自分に向き合うことです。
自分を見つめることは、いやでも世間と向き合わなければなりません。
悩むことは、人の言葉を聞かないと、できません。
スマホを見ながら話を聞いているから、耳に入ってこず、悩むことすらできないのです。
ゲーミフィケーションは悪魔の発明
スマホの仕組みは、ゲーミフィケーションだという説があります。
ゲーミフィケーションとは、ゲームのように動きがあるもの、見て、いじると快楽を与えるものが持つ、常習性、中毒性を指します。
資本主義は、究極のマーケティングを発見してしまったのです。
それは、消費者のマインドをなにかに依存させる、ことです。
ゲーミフィケーションが、それです。
これはもはや、都市伝説の類ですが、その昔、アメリカは日本を骨抜きにする妙案を思いついたのです。
それが日本占領下のGHQが推進した、3S政策(スポーツ、スクリーン=映画であり、セックス=性欲)です。
セックスはスピードという説があるように、素早く動く動画の製造機であるテレビと解したほうが、その時代にあっていた、と僕は思います。
快楽漬けにして悩み、考える力を奪ってしまえ
テレビ、映画、スポーツ。
いずれも人々に感覚的な快楽を与え、人々を依存させ、他のことを考えなくする媒体です。
今で言うゲーミフィケーションと同じです。
3S政策?は、日本人に物事を深く考えさせないためであり、もう領土的覇権を狙うなどしなくなるだろうとのハラだったというのです。
それが功を奏したとでも言うのでしょうか、日本人はテレビに映画にスポーツに夢中になり、復興だけに集中しました。
あれほどよくも悪くも政治に熱心だった日本人が、いつの間にか政治的無関心になってしまったのは、これもひとつの原因ではないでしょうか。
これだけ悪質な脱税である自民党の裏金問題でも、世論はうんともすんとも反応しない感じで、各種事前調査でも、半数が自民党がなんだかんだ言っても過半数を確保する、という予測が出ています。
スマホが、若者を悩ませることをさせず、彼ら彼女らから自分自身と社会を考えるという機会を奪い、政治的無関心を助長している・・3Sにスマホをつけて4Sのおかげで、衆院選も過去最低の投票率を更新するだけだろう・・・
スマホも誰かの陰謀なんだろうか・・
また、おろかものの秋の妄想でした。
野呂 一郎
清和大学教授