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プロレス&マーケティング第105戦 今年こそプロレスはUFC王者と戦え。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:マーケティングは時として勝負をかけないとならない。リスクをかけること、プロレスにとってもそれが最上のマーケティングと言える。それは間違ってもドーム満員などのケチな目標ではない。
観客の入りなんてどうでもいい
近頃のレスラーが小粒になってきたと感じるのは、プロレス内でしかものを考え、発想しないからです。
棚橋はドームを満員にしたいと言い、高橋ヒロムはジュニアがメインでそれを成し遂げたいと言い、中野たむは横アリの観客動員の新記録をたてたいなどと言ってます。
経営陣も同じで、新日本プロレスの社長も観客動員をコロナ前の水準に戻したいだのと言っていますし、マスコミと言っても今は週プロだけですが、今週号で「悲願の東京ドーム札止めを」なんて特集している始末です
プロレス界って、こんなちんけな世界だったっけ。
ここで思い出されるのが、あの方の名言です。
「見たくねぇ奴は、見に来るな!」
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ご存じアントニオ猪木の遺言です。
この言葉は、「客にこびへつらうな、自分の信じたプロレスをやれ」、ということで、言ってみれば「てめぇのプロレスにはロマンがあるのか?」をレスラーたちに問い詰めたのです。
その結果が、イデオロギーなき軍団抗争であり、プロレスの本質を考えていない観客動員目標です。
まったくプロレス村からはみ出してない、小さなロマンなのです。
プロレスの魅力とは何か
それはファンの数ほどあるでしょう。
多様性の時代だから、プロレスの流儀も団体の数ほどあります。
しかし、それでもあえていわせてもらえば、それは力道山が日本にプロレスをもたらした頃から、変わっていないのではないでしょうか。
あのころ、大衆がプロレスに託していたのは、「異形」という二文字でした。
異形とは体の大きさであり、スケールの巨大な思想であり、生き方であり、とても人間とは思えない怪力であり、タフネスであったはずです。
こうした人々が憧憬してやまない、常識から激しくはみ出したものこそ、プロレス本来の魅力ではないでしょうか。
それが、レスラーの口から出てくるものは、陳腐な軍団抗争、ドームを一杯にするなどのちんけな野望ばかりです。
強さという永遠不変のロマン
「本当に強いのはプロレスだ。UFC王者に挑戦する!」などとロマンあふれる言葉を言ってみろよ、誰か。
猪木が存命ならば、現役ならばこのしびれる一言が聞けたでしょう。
かつてプライドの2強,ミルコ、ヒョードルに猪木の命を受けて挑戦した、永田裕志は今から思えば立派だと思います。
違う競技だからは言い訳
こう申し上げると、違う競技だからルールが違うから無理、と反論が必ず来ます。
しかし、プロレスこそあらゆる格闘技の集大成ではなかったのですか。
つまりだから、一番強いと胸を張っていいはずです。
もちろん、他の格闘技からの技は、観客に見せるためにプロレス流に加工されるのが常です。
しかし、レスラーならばそれを「殺しのテクニック」として使えるはずです。
はっきり言って、現代に残されたプロレスの唯一のロマンはそこなんです。
プロレス最強を取り戻せ
わかっているファンの皆様は、こうも言います。
確かにお前の言い分もわからないではない、でも、また高田vsヒクソンの二の舞を演じたらどうなる。プロレスは今度こそ、おしまいだぞ。
そこなんですよ、それはまた論じることにしましょう。
だけど、僕が憂うのは、プロレスを愛し、格闘技より下に見られている屈辱を誰より強く感じ、それを実行に移すようなプロレスラーが出てこないことです。
ドーム満員なんてチャチなことはどうでもいいよ。
野呂一郎
清和大学教授