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友達が自殺した

中学の同級生、佐藤(仮名)が自殺をしたと聞いた。
ものすごく仲が良かったわけではないが、廊下ですれ違えば話すぐらいの関係性だった。

あるときに彼が昼休みにオーバードーズをしてるのを目撃しました。
当時の僕はODそのものを知りませんでした。
佐藤にそんなに飲んで大丈夫?と聞くと
医者がこれぐらいの量を飲めって言っててさ、と笑いながら答えました。
疑問に思いながらもその場を後にし、少し経ってもう1度その廊下を通った時
彼は吐いていました。
吐瀉物の中には薬の表面さえ溶けていないたくさんの玉薬が入ってました。
この出来事は今でも鮮明に覚えています。無知がゆえに止められなかった恥ずべき僕の失態です。

最後に会ったのは中学の卒業式だし、卒業後どうしているのかなどは全く知らなかった。
昨日、中学の同級生と遊んだ時にその話を聞いた。

僕の心はなんか悲しいだけでは済まない、何か心の奥底にある思い出したくない記憶に直接触れるたような感じがした。

1度だけ死のうとしたことがありました。高校生の時でした。
高校に行くルートに仲が良い山本(仮名)が通う高校の前を通る必要がありました。
その高校の前を通った時、体育の授業でランニングをしていました。
その中に山本の姿があったような気がしました。
その瞬間、僕は「当たり前のことができないこと。そして、僕も普通のことが普通のようにできていれば楽しいのに」という後悔「11時に学校に登校するなんてサボってるように見えますよね。すいません。」と謝罪を繰り返しました。この出来事がトリガーに手をかけた瞬間となりました。

当時の僕は生き地獄にいるように感じていた。
生きても地獄、死んでも地獄のような、生と死の境界線にいるような。
僕のこの経験を言葉で言い表わすのはとても難しいことだが敢えて例えるならば
とにかく苦しい、とにかく痛い、とにかく辛い 
この3拍子に尽きる。この3拍子が僕にとっての俗に言う「青春時代」と言うやつだ。

高校を通り過ぎると交差点があります。まだ僕は反芻しています。
信号は赤でした。僕は立ち止まります。
まだ僕は反芻しています。その瞬間にトリガーが弾かれました。
死のうと言う言葉が頭いっぱいに埋め尽くされました。死んだらダメと言う自分の倫理観が入らないくらいに埋め尽くされました。
自然と右足が前に出ました。死のう、死のう、死のう、僕でない誰かの声も聞こえた気がします。僕は左足を前に出そうとしました。

だからこそと言っても過言ではないだろう。
僕は佐藤の気持ちに理解ではなく共感ができた。
佐藤がどれほど険しい道を歩んできたかが安易に想像ができてしまった。
どれだけ悩み、苦しみ、もがいたのか想像すればするだけ僕の心に痛みが走った。
しかし、そこには「なぜ止められなかったのだろう」などの後悔の念は存在しなかった。

僕は左足を前に出そうとしました。
しかし、僕の左足は岩のように硬く地面から動きませんでした。
そのことに気づいた瞬間、死に埋め尽くされた頭の隙間に死んだらだめだよと言う優しくも残酷な言葉が入ってきます。次に倫理観、次にここまで育ててくれた母親と父親の顔が。
僕の身体は震えました。真夏日だと言うのに鳥肌がたちました。寒くも感じました。
最後に僕の右足が震えてることに気がつきました。
あんなに楽になれたらと。簡単に死ぬことができたらなと。思っていたのに
僕は死ぬことが怖いんだ。と思いました。
僕は誰にも悟られぬよう泣きました。しかし、その涙が何故の涙かはわかりませんでした。信号が青になりました。


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