メンタルが安定していると思う人が共通して言う言葉は真実の半分しか語っていない
メンタルが安定していると思う人が共通して言う言葉に納得の声「人間関係の悩み9割くらいは解決しそう」 - Togetter
このまとめがバズっているようですが、はい、その通りです。ツイートにも「天気」という言葉が出てきますが、「天気」にいちいち目くじら立てる人はいません。他人も同じです。自分では変えられないものなのです。晴れの日もあれば雨の日もあり、それに合わせて行動すればいいのです。
個人的にはそれは天気が変えられないことと同じくらい当たり前のことなのに、このネタが繰り返しバズるということは、世間的にはまだまだ当たり前ではない人が多いということなのでしょう。
もっともっとみんなそう思うようになってほしいです。多様性の時代に共生して時にはコラボしていく上で、他者は変えられないことを理解することは基本的な能力です。
ただし、おそらく、「他者は変えられない」とわかるだけでは、足らないのです。足らなくて、それだけではあんまり生きるのが楽にならないのが問題なんだと思います。
何が足りないか。やはり天気で考えるとわかりやすいです。「私は天気を変えられない」ことはもちろん当たり前ですが、それだけでは生活が便利になるわけではありません。
そう、予報がいるのです。
明日は晴れかもしれないし雨かもしれないし、もしかしたら雪だって降るかもしれません。とはいえ、現実には天気予報があり、私たちはその予報で準備し行動します。もちろんいつも当たるわけではありません。雨が降るか降らないか微妙なときはそのように心構えします。川が氾濫するかもしれなければ、避難します。その結果ぎりぎり氾濫しないとしても、それはそれで「よかった」ことであり、怒る話でもありません。
でも、毎日明日「川が氾濫する」つもりで行動はしませんよね? そんなことしてたら生活が成り立ちません。
人間関係においても、「予報」の能力は極めて重要です。この人はここでどういう反応をするのか、会ってない間にどうなっているのか(どれだけ成果をあげているか)などについて、予測をします。「他人は天気」と割り切れている人は、実はむしろ予測しまくります。
「他人は天気」と考えず「こうあるべき」と思ってしまうと、予測は困難になります。しかし、「他人は天気」であれば、一気に予報能力に磨きをかけ始めます。天気はどうなるかわかりませんから。
冒頭のまとめで、
"基本、他人には期待しない"
と書かれていますが、だからといって相手がどんな行動するか気にしていないわけではなく、逆に、たぶん晴れ、もしかしたら曇り、夕立はあるかもしれないし、いつだって地震は起こるかもしれないと心構えはあるのです。はたしてその予想は大体当たるので、「余裕を保てる」のです。もし外れたら、予測モデルを修正し、次はさらに精密に予測する。
たとえば相手がどれくらい自分に好意を持っているか。ぴたり当てる必要はなく、これくらい好意もってくれてるから、むしろあまり好かれてないかなくらいの幅で捉えます。
その範囲があれば、大抵の相手の反応は、予想の範囲に入りますし、それに対応するのも余裕の中でできます。
逆に、「他人は天気」と考えようとしたって、無防備に豪雨に振られればびしょ濡れです。そんな目にあったとき、「ああ、まだ自分は『他人は天気』とまで達観できてないなあ」で終われば、いつまでも「他人は天気」と言える人にはなれません。自分でコントロールできないものは、なにが起こりうるか幅をもって想定し、備える、そこまでしなければなりません。
ではその力はどうやれば付くのでしょう。コミュニケーション能力でしょうか。
いいえ、かなり違う能力です。
ミライ「フツクロウさん! サポートでいただいた投げ銭は、私たちが好きに使っていいんですって!」フツクロウ「ホウ!それは楽しみじゃの」ミライ「はい!がんばるぞ!」