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__ナイト

 岡山から単身離れて、というより電車で本を読んでいた末に気がついたら京都に来ていた私だけれど、それだけに少なからぬ人と知り合った。人付き合いの得意でない私にとって自然と出来上がった知人は重宝である。よく会うのが二人いる。そのうちの一人がハダカちゃん。それにもう一人がラッコちゃんという子なのだけど、彼女が「ハダカちゃん、ハダカちゃん」と呼ぶ人が、一体どんな人間かと恐怖していたが、いざ会ってみるとその名の不思議が解かれた。彼女は私の部屋に入るなり、服を脱ぎ脱ぎハダカになった。単純な命名。いつもハダカだからハダカちゃんなのだ。
 何事にも深読みしたがる考えがちな私は腰砕けな思いがした。

 もちろん河原町通りを歩く今はきちんと服を着ている。彼女がハダカになるのは然るべき場所だけ。叱られるべき場所では脱がないのだ。
 ちなみに今、時間潰しをしている私たちである。時間を圧縮プレスでペシャンコにする。小さな時間を一つ一つ、一足ごとに。……することがないのである。

 本日の予定、ハダカちゃんにクラブへ連れてかれる。
 あと40分くらいかな。
 まだ開場していないのだ。えらく気の早い二人だこと、とわらう人もいるだろうけど、そういうことじゃない。ものの思いつきでクラブに行くことにしたから、勝手に時間が浮いたのだ。私が時間に無頓着なことは認めるが、友人の名誉のためにここに記しておくが、ハダカちゃんはびっくりするくらいに、そこら辺の倫理というか礼儀礼節というか常識というものがしっかりしている。時間に遅れたことがない。大人なルールに通暁している。

 PEANUTS専門店で(おつまみの方ではなくスヌーピーが出てくる漫画の方)でコップを見比べているとポッケのスマホが震えた。
 ハダカちゃんからの連絡は、クラブへGO!! を伝えるものだった。
 私はとって・・・の上にスヌーピーが寝転んでいるカップを戻し、メモ帳だけをレジに持っていった。1万円札で払う。

 セキュリティには四人並んでいた。クラブに於いてである。

 ここへ来るのは三度目だ。
 だから感興はない。部屋にいるのと同じ感覚——とまではいかないが。

 毎度の如く壁際を陣取って、任意のドリンクを傾けている。お察しの通りはしゃぐような人間ではないので、遠巻きに関係しないよう、孤独でいるようにする。グラスを傾けドリンクが口に着くかどうかスレスレの角度で止めたり、ちょっとだけ柑橘にキスをして戻したり、私は音楽と騒いでいる人を見るのが好きなので、この観察地点は恰好の——

「私を、忘れたわけじゃないでしょ」

 右の下方からオー・ヘンリーの短編小説に出て来る女の子のような声が浮かび上がってきた。それはまるで私を透き通って私の手にするカクテルの泡にむけているかのように聞こえた。つまり、私ごととは思えなかった。

「私を、忘れたわけじゃないでしょ……」

 二度目に私は振り向くかどうか迷った。そちらを見て損ということはないけれど、やっぱり私に向かっているようには思えない。泡に向かっているとさえ思えなくなってきた。ここで断っておきたいのは、声はこちらに向いているということ。意識が向いていないというか、なんというか。
 などと迷っている間に私は彼女の方を向いて、

「え、私に言ってるの?」

 というジェスチャーを表出しつつ、私よりりんご三つ分背の低い彼女をすがめてみた。

 斜視の女の子。左目だけでこちらを凝視して、右目は私から逸れていた。

「そう……文子よね。鉄文子」
 彼女の背筋に冷たく射し響く声が耳に触れる。

「正解」

「……で、私のことは……知らない?」

「うーん。ごめんちゃい」

 彼女はしなやかに目を瞑って、ふと煙を吐くみたいな首を動きをする。無理をして上から目線をするように、関係のない人々を眺める。

 今ここで改めて彼女を描写しますと、黒髪はCMに引けを取らないさらさら感、肩周辺に足をつけてしなをつくっている。お分かりの通り背はかなり低く、肌は病的に白い。眉は『進撃の巨人』のヒストリア・レイスのようで、鼻は気のきついモデルを思わせる高さで形は線が硬め。口は幼げで妖艶、小さくて濡れている。私の言葉に、彼女は、意地悪げに左の頬に空気をためてこの誘惑的な口をすぼめるという演技がかった表情もして見せる。背の高くない私よりキティちゃん一匹?分背の低い彼女だから小人っぽい愛らしさのある中に、魔女っぽい怪しさが同居している。

「ほんとうに、申し訳ないとは思うんだけどね。うーん、すみません、お名前だけ……」

 グラスを傾けて、ここへ来るときいつも飲んでる馴染みの味を、違和感とともに喉に流した。

 不互ふたがい巫女実みこみ
 というのが彼女の名前だった。もちろん、聞き覚えはない。 

 それだけ言うと、髪を空気に溶かすように回転し、私に背を向けるとそのまま光の中に吸いこまれていった。

「ねー、それ美味しい?」
 また知らない子から声をかけられた。
 とは言え、クラブにおいては、こうやって女の子に声をかけられることは夏に蚊に刺されることくらいよくあること。
 私は、グラスに入った液体を揺らして彼女の目の上に晒してみた。
 彼女は少年が虫籠を覗き込むようにグラスを見た。

「さっきの子だけど……」
 クラブに出入りする人たちの人間関係の網目は、もはや毛玉のようになっている。皆が皆を知り合って、調査し合う。だからもしかすると、巫女実ちゃんは私を人間違いして……いいや、名前を言い当てられた。
 けれど、奈々美ちゃんなら(私の飲むカクテルを紹介した子、いま名前を聞いたのだ)知ってるかもしれない。

「知ってるよ」
 私とのツーショットを撮ったスマホを降ろしながら行った。
「みこちゃんでしょ」

「みこちゃん、って呼んでんだ」
「うん」
「何者なの?」
「何者って笑 えっとね、週二くらいでここに来てるかなー。あたしはね、一年位前に知り合った、うん。明るい子でしょ。ね。天然って感じ。ちょっと不思議ちゃん入ってるけどね。たしか美容専門学校? だったっけ。んーその辺は曖昧。彼氏はいないはず。でもこの前、橋田さんと一緒にいたとこは見た。あたしがじゃないけど。ユッキが。ユッキ知ってるでしょ。うん、ユッキがね、たしかケルトで飲んでる時に見たらしい。でも普通に喋ってたみたいだけど。たぶんやってないと思う。文子ちゃんはー……」
「あれ」
 会場のど真ん中で大小四人の男に囲まれながら髪を振り乱して踊っている友人を示す。あいつの付き合いでここにきた。

「ああ」と言うだけの返答。そこに感情は読み取れず。

「ありがとうね」
「ん?」
「不互巫女実さんのこと教えてくれてさ」
「うん、いい子だよ」
「そうだと思った。……じゃ、あいつ、連れて帰らないといけないから」
「んー、また会おうねー」
「はあい」
「インスタやりなよー」
「んん〜……ドウカナァ」
 と私は最後に苦笑いを残して壁から離れる。

 翌日、バイト先に高校時代の友人がやってきた。内村あんずちゃん。さっきから名前ばかり上げてしまって申し訳ない。おぼえるの、大変でしょう。でももうこれ以上は出ないよ。
 
「40分だけね」
 と彼女はレシートを持ってった。
 ネカフェに40分だけとは、とんだ豪遊者もいたものだ。

 バイトを終えたとき、杏ちゃんから連絡が入っていることに気がついた。

『8時から飲みに行けたら行こっ』

 バイトが終わるのが8時半。暇してるか聞いてみると、喜んで返信が返ってきた。

「相変わらずの自由ね〜」
 という感想をいただいた。

 お互いの経歴を紹介しまして、焼き鳥も食い散らかした。杏ちゃんは前に聞いていた通り岡山の出版社に勤めていて、今回取材のために京都へ来たらしい。

「うらやましい〜」
 という感想を送った。
 本好きだからこれは本音の本音だ。

 平和な会話だったはずが、それを切り裂く一つの話題が、思わぬ角度でここに持ち上がった。

 それは私が「最近あったヘンテコな話」を披露したときのこと。

「不互巫女実さん。知ってるよ」
 とぼんじりを齧りながら旧友が何食わぬ顔……いや、ぼんじり食う顔で言ったのだ。

「え? え?」
「不互さん」
「知ってるの?」
「うん」
「どこで知り合ったの?」
「どこで……? あぁ、そうそう。高校の頃、塾が一緒だったの、最近もたまーに会うよ。この前、仕事終わりに電車で会って話したし」

「ふむ……」

 ということは、彼女は〈岡山時代の私〉を知っていたわけか。そう予測していい気がする。

「不互さんって、何者なの?」

「何者ってw 明るい子よ。誰にでも気さくに話しかけるって感じの。塾でもさ、私とはクラスが違ったけど彼女から話しかけてきてくれたの。『地理とってる?』って。で『とってない。数Ⅲやるから』って」

「よく覚えてるね。私にはやりとりになってるのかさえ分からん」

「よく喋る子じゃなかったけど、よく話す子ではあった。それは今でも変わってないのかな。分量的にはよく今の方がよく喋るかも。でもね、うーん、気さくで先生とも仲良くて、学校関係なく人と付き合うって感じだから、なんていうか無国籍な人? そういう意味で自由人だから、文子と似通うところはあるんだけど、文子と違ってどこか冷めてるなぁって感じはした」

「冷めてる? 私より、不互さんの方が冷めてるってこと? さっき聞いてた話の感じだと、エンジョイしてそうな感じだったけど」
「文子はさ、『大学受験なんて何でやるのか分からない〜』って言ってたでしょ。『何で人と話すのか分からない』みたいな。だから理解できるまでそれをしない。考えてるし、そういうものから意識して遠ざかってる。距離をとって、眺めてる」

「そう……かなあ、たしかに」

「でも、不互さんもそうなの。きっと大学受験に意味なんて感じてなかった。でも、それを分かった上でそのレールに乗ってるの。そこが冷めてる。文子は態度は冷めてるけど、その冷めるという行為に、熱意を持ってるでしょ」

「熱き冷める女ね。何だか自分がチンケに思えてきたよ」

「だから、最近彼女に会ったって話したけど、あまり変わってなかったのが意外。そういう子って、環境が変わるとガッて変わるイメージだったから。と、当時はそんなことは何にも考えてなかったけどね。ただ、明るいいい子だって思ってた」

「ただ明るいいい子だって思ってたら、今でもそうだったと。昔の人に会ったから、昔のように振る舞ったのかもね」

 ここの会話にもまた不互巫女実が出てきたことには驚いたことだろう。彼女という概念が影のように私についてきている気がしたのも無理はない。

 そしてハダカちゃん、ラッコちゃんもまた不互巫女実知っているのだった。

 三人で寿司をとった夕食で、新芽が出るようにその話題は土中から浮かび上がった。

ハダカちゃん曰く、
「優しすぎて損をしてる人」

ラッコちゃに曰く、
「単純すぎる子、何も考えてない子」

 だった。二人の証言は合致するところでは合致していて、話は盛り上がっていた。けれど、どうも私には像を一つにすることが難しかった。これこそ「群盲象を撫でる」というやつか。

 ハダカちゃんはやっぱりクラブで知り合ったらしく、ラッコちゃんは高校で知り合ったらしい。
 だったら本当に私が彼女を知らないのは、私の過失やもしれん。

 と反省していた私の反省を強制的に促す証拠品が、土曜日の夜に出土した。

 古いノートに四ヶ月だけ書いた日記が見つかったが、そこに不互巫女実のことが書いてあった。書き覚えのない日記には確かに私が経験したことや、全く記憶にない出来事などが書いてあって薄気味悪かった。

『——不互巫女実ちゃんという女の子は実に自分のことをよく分析する子だ。「文子さんと友達になれてよかったわ。私人付き合いのあまりできない人だから、話しかけてくれる人にすぐ懐いちゃうの」「やっぱり考えすぎちゃうのよね、何でも。でも考える時間は好き、人を遠くから眺めているのも好きだから、そういう時につまらないことを考える」「よく自由って言われるけど、私的にはがんじがらめにされながら生きてる。だからそこから逃れようって考えたりするけど」
 みたいなことを言ってた』

 別の日にも不互巫女実について書いてあった。

『今日京大に潜入した。巫女実ちゃんに会いに行った。巫女実ちゃんの明るさは私に元気をくれる。大学辞めたいって言ってるけど、別の研究したいなら辞めずに道は探せるんじゃないかな。せっかく浪人して入学したらしいのに、辞めたらもったいないと、他人の目から見ると感じる』 

  そして最後のページには、

『今日初めてクラブに行った。不互巫女実という女の子と知り合った』

 という一文があった。
 一体どういうことなのか分からない。

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