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16 誰の家?
ある時、アイが「今日は疲れたな。アイルームに帰ってぐっすり寝よう」と、巨大樹のところまで帰ってくると、自分の場所であるはずのその部屋に、ハイラックスが三匹、耳を垂らしてくつろいでいました。
「ちょっと、勝手になにしてるの。ここは僕の部屋だよ」
「違うね」ハイラックスの中でも一番小さいのが言った。「もうおれらの部屋だ」
「違うわけないよ。ここは僕の部屋で、知らない人が勝手に住んでいい場所じゃない」
「しかし、これを見ろ」そう言ってハイラックスが取り出したのは権利書でした。権利書には、「巨大樹の根の隙間にある部屋の権利はこの者にある」と書いてあります。
しかし、その権利書は、ここに住みたいと兼ねてから思っていた、このハイラックスたちが自分らで勝手に書いたものなのでした。
ですが、それを見せられるとアイはもう出て行かざるを得なくなるのです。なんせ、権利はハイラックスたちにあるのですから。
アイは階段を上り、ワールドザワールドの部屋の扉をたたきました。
先端がラッパ型になってる通話機からジーッと音が鳴ったあと、ワルワルの女神の声で「はあい」聞こえました。鉄の管を通して彼女のいる場所から音だけで伝わってくるのです。
「ねえ、寝るところがなくなったんだ。今晩入れてくれるかな?」
するともう寝支度をすませていたワルワルの女神が出てきました。
メイクも落として、片手に枕を抱えています。
「どうしたの」
「今夜は泊めて欲しいの」
「でもね、アイ。そうやって女の子の部屋に簡単に入ろうとしちゃダメなのよ」
「女の子……そんな年齢かな」
「おこるわよ、アイ」
「でもハイラックスたちに部屋を取られちゃったんだ」
結局今晩だけという約束でアイは中に入れてもらいました。
しかし、アイはその夜困ってしまいました。
ワールドザワールドの女神がなんとしても、アイに絵本を読みたがったのです。
アイは我慢して聞くほかありませんでしたが、昔彼女から何度も聞かされた「タケル大王」「弱虫らくだ坊主」「じゅげむじゅげむ」などの久しぶりにきく物語は、以外に楽しく聞けました。
おかげでアイはとても暖かくゆっくり眠ることができたのです。
次の日、アイはそのことをクァシンに伝えました。つまり、ハイラックスとの事件のことです。
クァシンは「それは不当だ!」と言いました。「横暴と言うんだよ、アイ。アイは部屋を取り戻す権利があるんだ」
そういうことで二人でハイラックスを懲らしめて追い出そうということにしました。クァシンが弁護士役です。
さっそく、部屋へ行くと、そこにはハイラックスが二匹だけいました。
「やい、僕の部屋を返してもらうぞ」
入るなりアイは叫んで、ハイラックスに木の棒で殴りかかりました。
壁際で漫画を読んでいたハイラックスをこれでもか、これでもか、と殴りつけているとき、後ろからクァシンがアイの腕を掴んで止めに入りました。
「アイ、君は一体、何をふざけているんだい」
冷静になってみると、アイは自分の冷蔵庫をずっと殴っていたことに気づきました。
「おかしいな……確かにハイラックスが……」ハイラックスは二匹、全然違うところでアイを馬鹿にしたように笑っています。
「たぶん」
とクァシンはあることに勘づきました。
「彼らがきみに幻覚を見せていたんだ。マヤカシというやつだね」
「マヤカシだって! どうする、クァシン?」
「一旦ひこう。どっちにせよ、暴力や力づくは僕には気に入らない。もう一度、僕の家で作戦を決めてから出直すんだ」
クァシンはそう言います。
熱心に便器に向かって喋っているクァシンのことを、アイは不思議がって見ていました。
少し怖く感じましたが、難しそうに悩んでいるクァシンの肩を叩くと、彼はだんだんと目の焦点をアイに合わせてゆきました。
クァシンも冷静になって見て化かされたことに気がついたようです。
「僕まで……。ともかくここは出なきゃいけないよ」
「そうだね」
そんなクァシンの姿を見ても、ハイラックスはゲラゲラと笑っていました。
ハイラックスにマヤカシの力があるとアイにも十分思い知らされたので、すぐさま部屋を出ました。
ハイラックスの元から逃れた二人はクァシンの家へむかいます。
クァシンの家はいつも通りです。
おじいさんは椅子に座ってぼうっとしていますし、おばあさんは二人にお茶とクッキーを出してくれました。
二人はお茶をしながら、ハイラックスを追い出すための作戦を練りました。
タニシの女神は、肥溜めのなかで真剣に語り合ってるアイとクァシンを眺めました。いくら首をひねって考えても、事情が汲めません。
長い枝を拾ってきて、アイとクァシンを、突いてみました。
「あんたらぁ、何してんの」と聞くと、
「あ、タニシの女神。きみが町に来るのなんて珍しいね」
とアイは答えたのです。
いよいよ変だよ分かってきました。
「町じゃないのにね」
彼女がそういうと、アイもクァシンも自分が肥溜めにいることに気付いて、そこから飛び出しました。
「アイがこんな遊びをしてるのは、わからなくもないけどさ。クァシンまでまさかやるとは思わないからね、何か変だと思ったのよ」
「僕だって、さすがに肥溜めでは遊ばないよ」
とアイは体を川の水で洗いながら泣きそうになって言うのでした。
アイとクァシンは口の中まで糞尿でいっぱいになっていたのを吐き出して、周りに注意しいしい歩きました。少しの違和感や、もう一度ちゃんと周りを見ることでマヤカシから逃れることはできるはずだからです。注意力と、今の自分を疑うことが大切です。
二人はクァシンの家へつきました。入る前に、壁を蹴ったり、二人で顔を殴りあったりして、いま目の前にあるのが本当にクァシンの家だと認識してから、二人は扉を開けます。すると中にハイラックスが一匹、さっきアイの部屋にいなかったのがいました。
「ここの権利もおれがもらったからね」
ハイラックスは権利書を二人に見せびらかした。
「クァシンの家の権利を有する権利」と書いてありました。
二人はクァシンの家にもいられなくなりました。
「新しい家を探そうか」クァシンが言います。
アイは気持ちを入れ替えました。
家の権利を奪われたのなら、新しく作ればいいだけなのです。
二人はワールドザワールドを巡り、住めそうな場所を探すことにしました。
巨大な石の積み重なった、雨のしのげる場所。バナナの道の大きな葉の下。土の穴のその中。空き地の土管。橋の下のホームレスと同居。大女のスカートの中。いろいろなところを巡りました。
そしてどこに行っても、楽しく過ごせました。二人は久しぶりに二人だけの時間を得て、夜までずっと喋ったり、日の当たる所でボール投げをしたり、一緒に慣れない料理をしたのです。
しかし、少し遊んで帰ってきたり、ちょっと目を離した隙さえあると、ハイラックスがそこにいて、権利書をもって二人を追い出したのでした。
二人はとうとう、疲れ果てました。
そしてワールドザワールドの端の不作の大地へやってきました。そこはどんな作物もならない不作の土しかない場所で、建物もなく、茶色い土が広がるだけの寂れた土地なのです。ここならさすがのハイラックスもこないだろう、と二人はここに小さな家を建てました。
しかし、その夜。二人がジャンケン万歩対決を一日中した帰り、家につくとそこにはやはりハイラックスがいて、さも自分の家かのようにくつろいでいるのでした。
そしてハイラックスは二人に権利書を見せつけます。
「この土地は、もうおれたちのものだから」
しかし、二人も負けていません。
クァシンはポケットから一枚の紙を出しました。
それは彼が書いた、この土地の権利書なのです。
それでもハイラックスはみじんも動揺しません。
なぜならハイラックスの権利書には、
「前に書かれていた権利書は無効にし、最新のもののみ有効とする」
と書かれているからです。
ハイラックスがそのことを主張すると、
「そうだよ」
とアイが答えました。
「でもよく見てみてよ」
クァシンの手にする権利書の下の方を示しました。
そこにはこう書いてあったのです。
「この土地の権利を得たものは他の土地の権利は手放すこと。この土地には他に住みたいものが現れない限り最低十年は住むこと」
つまり、新しくこの土地を契約したハイラックスは、他の土地全てを手放し、ここに十年すまなきゃいけなくなったのです。
「おれが、ばかされるだなんて!」
ハイラックスはそう言って、新しい彼の住居でへたり込んでしまいました。
今到着したばかりの二匹のハイラックスも話を聞いて、ばたりと倒れました。今夜からは三匹、そこで眠ることになったのです。
アイとクァシンは久しぶりに自分のベッドで寝ることができたのでした。
それはとても快適な時間でした。
次の朝アイとクァシンが道の真ん中で裸で寝ているのが見つかるまでは。
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