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ブコウスキーに救われた夜
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20代の頃克服出来なかった山に、苦手意識こそ感じてはいなかったけれども無意識に距離を置いていたのは確か。
けれどいつの間にか自分にとって大事な大事な、とても大事な存在だと気づく。
文字通り「いつの間にか」だ。
そんな山がいまだっていくつもある。
ということは、いま感じている険しい山も10年後20年後には知らず乗り越えることが出来るかもしれない。
あまりうまく想像は出来ないけれど。
ともあれ「あきらめないで」とか「頑張って」などと奥歯をくいしばって、
拳を強く握りしめたおぼえはない。
「頑張る」ことが不得手なのだ。
もし頑張ることが可能だとして、それを客観的に見たとたんその熱は一瞬にして一気に冷めるだろう。それの自信がある。
これは持って生まれた何かのような気がする。
あるいは後天的に生じた怠惰な体質が覚えず染みこんでしまったのか。
いずれにせよ、あまりいい癖とは云えない。恥ずかしくなってくる。
ポテトチップばかり喰って、冷えた白ワインを呑みながら口の中を汚してばかりいる夜を過ごしているわけにはいかない。
そうは思いつつも、自分は何かに憑かれたように、永遠の宿痾に呪われたようにそれを抑えることが難しい。どこかに良い薬があればよいが。
そんなことを考えつつも、自分のイカレタ頭の中で考えることはこの後何を喰うかと女の事だけ。
だからブコウスキーに救われた夜のことは忘れない。
絶品の酒が用意されたところで満たされるべきものは思うにそんなものじゃなく、たとえ独りだとしても己の精神に突き刺さるぶっきらぼうないっぽんの杭である。そいつはしばしば詩のかたちをしてフラリとこの店にやってくる。ふり向けばいつの間にかそこに、それは突っ立っているのだ。
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