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難解な文体 大江健三郎 それでも僕は夢中になった  「分かりやすい説明」のルール 木暮太一(著)

学校で教えてくれない

3月でも雪は降る。
なごり雪だろうか。
横断歩道を歩く女性が「あたし困っちゃうわ」みたいな顔で歩いている。
北国の女性は美しい。
寒さで緊張しているからである。

ラジオ芸人が喋るラジオ番組が好きでよく聴いていた。
その番組自体が好きなのはもちろん、よく考えてみればその番組が流れてくる風景が好きだったのだと気づく。
毎週土曜日、じぶんのお客さんの所へ行くと、大体その番組が流れていた。みんな聴いているのだ。
工場で、事務所で、お店で、ありとあらゆる場所で、笑いと涙満載のラジオショーが聴かれていたのだ。
そんな風景に包まれていた時代が確かにあった。そして僕はその風景がたまらなく好きだったのだと今では思う。

ただ聞き流していた方もおられよう。
いっぽうで真剣に聞いていた方も。
僕は後者であった。ひとことも聴き逃すまいと熱中して聴いていたように思う。
彼の話す言葉には魂があった。たくさん笑わせてくれた。怒る言葉に納得もした。それは毒舌ではなく、真っ当な意見だった。少なくとも僕にはそう思えた。
彼の話す言葉には命があった。心を震わせる体験をいくつもした。
筋書のないドキュメンタリーだった。リアルで真剣でギリギリの一発勝負だった。そのスリリングな時間がたまらなく愛おしかった。

そのラジオ芸人が亡くなってどのくらい経つのだろう。
もう4年か5年。
今でも懐かしく思い出す。
寂しくてしょうがない。



愛という言葉は一度も出てこない。
でも僕はこの本を読んで「分かりやすい説明に愛は不可欠だ」と思うに至った。
説明をする側。つまり伝える人と、説明を受ける側。つまり伝えられる人のどちらに責任があるかといえば100パーセント伝える側にあると、この本は説く。僕もずっとそう思って生きてきたので、この部分を読んでうれしかった。


伝えられるべき言葉を、ひとことも聴き洩らすまいと夢中になってあのラジオを聴いていた当時の僕に、今の自分は恥ずかしくないだろうか。
甚だ自信がない。


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