ポール・マッカートニー作曲術 野口義修  本26  2021-7

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 とても優れた表現者がいるとして、その人のことを「天才」と呼ぶことに私は抵抗を覚える。
 とくにいま世の中で、天才だの神だのと、そんな言葉がやたらに散乱しているように思えるというのも、ある。
 たしかに便利な言い方だし、天才を前にして「天才」ということに何の間違いもないはずだが、しかし、何をもって「天才」なのか。
 個人的には「天才」という言い方をする時、誉め言葉というよりも、畏怖の念をもって使うような気がする。
 同じ人間でありながら、どこか別の次元にいる人、善い意味で相容れることが不可能な人。そんなイメージが、ある。
 

 ポール・マッカートニーは天才かもしれない。
 けど、僕はあえてそう断言しない。今はしない。
 それを判断するには100年待たないといけないのではないかという気がする。
 怒られるかもしれない。
 あらゆるビートルズ方面からお叱りを受けるかもしれない。
 ポールは天才に決まってるだろうが!!
 そんな怒号が聞こえてきそうだ。

 本書は大変に興味深かった。
 ポールさんが作った楽曲に焦点をあてて、その名曲群をひとつひとつ解析し分解し、あーでもないこーでもないとマニアックな視点から、または専門的な視野から読み解いていくという趣向である。
 本書にかぎらず、このように重箱の隅をつつくやり方が、私はとても好きである。何だかわくわくするのだ。ラジオなんか聞いていても時々、あるひとつのテーマを根ほり葉ほり突き詰めていくのを聞いたことがある。わくわくした。自分に興味があろうとなかろうと、大の大人が熱く、深く語っているのを聞くのは楽しいものである。それは不思議と、マニアックであればあるほど、それが自分にとって理解の範囲を超えていようとも、楽しいものである。

 私はポール・マッカートニーを天才と呼ぶのに躊躇している旨の発言をした。個人的な所感が許されるならば、「ポール・マッカートニーは本能で作品を書くひと」であったのではないだろうか。
 なぜそう思うのか。ひとつにポール氏は楽譜を読めない書けないというのを本書で再確認したからである。
 いやだからこそ、読めない書けないからこそ天才なのでは?と貴方は思うだろう。
 確かにそうとも云えるけれど、私はちょっとそのへんが引っかかる。
 ポール・マッカートニー=本能で歌を作る説。私はこのへんに重きを置きたい。
 本能で書いているから、あのような名曲が生まれた、というひとつの仮説。
 本能で歌を作り出すことが出来るから、まるで自然に呼吸をするように次々と名曲が生まれたという見方はどうだろう。

 天才とは、天賦の才とは書くけれど、ある意味では努力なしでは語れない部分があると思う。それは当然のことと思う。努力は、ある程度の人は、志しさえあれば、みなする。
 しかし努力をしたからといって、みながみな、報われるとは限らない。
 それが報われるのは、一部の天才だけである。
 結果を残せるのは、天才と呼ばれて差し支えない人たちと思う。

 と、ここまで書いて思い出したことがある。
 ポール・マッカートニーは、ベースを弾きながら歌うということを、死ぬほど練習したという話。
 人は1万時間だか10万時間だか練習を重ねたら、たいがいは天才の領域に行くという話。ポール・マッカートニーは自他共に認める、練習の鬼だったという。ほんとうにそれこそあきれるくらいにポールは、楽器と歌を練習したそうだ。1万乃至10万時間、ベースギターと歌の練習に明け暮れたのだ。これは彼がもう、まぎれもない天才であるという証左であるかもしれない。

 そうしますと自分なりの結論といたしましては、

 ポール・マッカートニーは生まれ持ったもの、本能で音楽をあみだす能力を備えているにも関わらず、不断の努力の賜物で歴史に残る名曲名盤、名演名唱を残すことが出来た天才、ということになる。
 「本能」は大事だ。
 


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