本19  夫・車谷長吉  高橋順子

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 2020年最後に読んだ本。
 何かとゴタゴタした年にふさわしい本だった。
 車谷長吉は普通の人ではなかった。
 小説家という職業じたい、普通の人でないのはあたりまえなんだろうけど。それにしても、だ。
 
 強迫神経症という病もけったいな病である。
 この本の著者であり夫人で詩人の高橋順子さんも本当に大変だったろうと思う。
 作家と詩人。同じ家に虎が二匹いたことになる。
 よくぞしのいだ、という気持ちと、同じ虎だったからしのげたか、との思いが読後の正直な感想だった。

 私が車谷長吉をはじめて読んだのは御多分に漏れず「赤目四十八瀧心中未遂」だ。ものすごい衝撃だった。ほとんど物理的にと云っていいほど、身体中に衝撃を受けた。
 あの小説の部分部分をいまだに思い出せる。読んだのは相当昔であるにも関わらずだ。命をかけた小説というのは、そして血を流して書き上げた小説というのは、ここまで凄まじいものかと思った。
 そういえば、これまたもの凄く意外なことに、車谷長吉の出た大学は慶應義塾で、そこでの卒論は「カフカ」だったと聞く。
 カフカの小説も後をひく作品だが、車谷長吉も同じ意味合いにおいて後をひく。これは偶然だろうか。それよりもカフカと車谷長吉がなかなか結びつかないのであるが。慶應にしろカフカにしろ、節々のアンマッチなところに車谷長吉のトリックスター性を感じる。
 ほんと、けったいなおっさんである。
 よく云われることだが、このような作家は今後なかなか出て来ないだろうなあと思う。その唯一無二な感じがものすごく自分の中のサブカルチャー魂を震わせるわけだが、今回彼の評伝を読みながらも音楽の世界に目を移せば、友川カズキにも近いものがあるのではないかと感じた。

 もちろん畑が違うし、個性と個性が火傷しそうなほど別物だ。にも関わらず私が好むご両人の持つ「匂い」みたいなものにどこか共通性を感じる。その心はどちらも容易に気安く友達にはなれない、というところに落ち着きそうだが、否、それだけではあるまい。
 芸術性はもちろん、孤高性、野獣性、その他挙げればいくつか出てきそうだ。しかし一筋縄ではいかない二人、どの言葉もあてはまらない気がする。
 油断して近づいていくと、首根っこをガブリと喰いちぎられそうだ。
 しかし云うまでもないことだが作品にはとてつもない魅力がある。
 欲をいえば車谷長吉には、もう少し多くの作品を残してほしかった。
 私小説書きの宿命で何かと問題は抱えていたにせよ、だ。それと同時に私は思うのだ。晩年の車谷には、もう、書く力は残っていなかったかもしれないとも。ひょっとして牙を抜かれた虎になっていたのかもしれないと。晩年の寡作さと、自身の全集を編みだしたあたりの頃を本書で読みつつ、何となくそう思うのだ。でも本当のところは勿論わからない。これは永遠にわからない。
 ずっと読みたい本だった。今回、年の暮れに読めたのは良かった。


 

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