きまぐれな偶然の女神の仕業。
と名付けて、エッセイストの
鶴ケ谷真一さんが、
次のようなエピソードを披露している
(先日の「日本経済新聞」朝刊)。
*
それは、
ゲーテの日記の完全版を求めていた
ドイツの批評家E・R・クルティウスが
たまたま買い求めたソーセージの包み紙が、
まさに欲しい日記のページだった、
という出来事。
*
鶴ケ谷さんは、
この種の偶然は、
見過ごされることが多いから
少ないと書く。
確かに、
思っているより多くの偶然が、
身の回りで起きているのに、
単に気づかないだけ、
なのかもしれない。
少なくとも、
歩きスマホが幅を利かせる
日本では、
毎日、膨大な数の“偶然”が
気づかずに見送られているはずだ。
偶然の好事に気づくために、
五感を働かせていきたい。