誰になりたい、って言われても誰にもなりたくない。
だから「自分が好き」と言ったのは、
あのちゃんです
(先日の『ボクらの時代』)。
もちろん、だからと言って
「こんな性格でなければもっと気楽だった、
自分の性格イヤだなとめっちゃ思う」と,
あのちゃんは言う。
「子どものころから正解があるものが
ホントにできなくて」苦しんだと言う
尾崎世界観さん、
「ドジっ子で、自分は浮いてるなぁ、
ってずっと思ってました」と
やす子さん。
*
心配性で自己肯定感が低い性格で、
「公式」に抵抗感があって、
ドジなるが故に「浮いてる」感覚を
味わい続けた私は、
この意外な組合せの3人の
トークに、
素直に引き込まれました。
そこには、
「ボクらの時代」でよくある
「こんな感じで苦労してきてきたよね」感を
匂わすような意識は感じられず、
「ちいさなころのボク、わたし」が
抱いていた気持ちを共有し合う
だけの空気に包まれていた気がします。
*
「ちいさなころのボク、わたし」が
抱いていた気持ちは、
たとえ60歳になっても抱いている。
そして、しなくてもいい苦労をする
そんな気持ちは
「イヤだなとめっちゃ思う」んだけど、
だからと言って
安易に「そんな自分が嫌いだった」なんて
言うのは許せない
(既にそれは『自分』を放棄しているから)。
そして私は
「イヤだなとめっちゃ思う」性格や欠点と
必死に闘う自分をすべてまとめて
支えながら生き続ける。
なぜなら、
誰にもなりたくないほど