いまだに外でも「マスク」着用。どこまで逃げる、日本人。 ※極私的「マスクなし」割合調査付き
■極私的「マスクなし」割合調査
「屋外ではマスク着用の必要はない」と
厚生労働省が明言しているにも関わらず、
相変わらず殆どの人がマスク着用している印象が強い日本。
しかし、この事象を
「インフルエンザでマスク慣れしている」的な予防文化や
「メイクの手間がいらない」などの利便性で
まことしやかに語ってよいのだろうか。
と、語り出す前に
「殆どの人がマスク着用している印象が強い」と書いた
私個人の感覚を、実際にご近所調査で数値化した結果が
以下の通りだ。
*
ちなみに私は屋外では完全にマスクなし、
公共空間に入る際はそのルールに従っている。
*
この投稿、5月頃に書きたかったので
調査もその当時に開始したのだが、
結果的に5-10月のトレンドを追うという
調査になってしまった。
ご覧の通り“7月は調査なし”という
いい加減さを露呈しているし、
調査回数が少ないのは単純に
忘れてしまうからだ。ただ、自分の感覚をより具体的に
してくれるだけの効果はあったと思う。
*
人口密度9,141 人/km²(15年)という、名古屋市の1.36倍にもなる
神奈川県大和市の中核エリアである「中央林間」。この街に住む私が、同じ町内にあるオフィスへの通勤路で気まぐれに計測した結果は以下の通りだ。
総数 マスクなし(%)
5/23[26℃] 47 - 6(13)
5/24[26℃] 51 - 6(12)
5/27[25℃] 64 - 2(13)
5/29[31℃] 72 - 7(10)
5/31[26℃] 64 - 0( 0)
【5月平均】298 - 21( 7)
6/ 2[20℃] 54 - 8(15)
6/ 3[20℃] 54 - 7(13)
6/ 2[20℃] 54 - 8(15)
6/15[20℃] 44 - 7(16)
6/19[28℃] 69 - 12(17)
6/20[30℃] 65 - 9( 14)
【6月平均】 340 - 51( 15)
【7月平均】 ※記録なし(少し関心薄れました)。
8/ 1[35℃] 41 - 10(24)
8/15[34℃] 38 - 7(18)
8/22[29℃] 45 - 14(31)
8/23[32℃] 51 - 17(33)
【8月平均】 175 - 48( 27)
9/11[28℃] 49 - 13(27)
9/16[31℃] 81 - 13(16)
9/21[25℃] 91 - 13(14)
9/28[28℃] 47 - 11(23)
9/30[28℃] 86 - 16(19)
【9月平均】 354 - 66( 19)
10/ 1[29℃] 91 - 13(14)
10/10[22℃] 51 - 14(27)
10/11[26℃] 47 - 9(19)
10/19[19℃] 67 - 9(13)
10/22[21℃] 96 - 12(13)
【10月平均】 352 - 57( 16)
[調査概要]
調査エリア/神奈川県大和市中央林間の私の通勤路(遠回りで約15分)
※駅近辺は避ける(マスク着用の必要度が上がるため)。
調査時刻/85%くらいは午前10時前後
調査ルール/・マスクなしには「顎マスク」も含む。
※顎マスク率はカウントしていないが、マスクなし全体の
およそ3割前後。
・ガソリンスタンド店員や宅配便ドライバー、保育士さん
など、勤務中の方は除く(マスク着用が求められるため)。
■日本人とマスク(1)「同調」から離脱できない
上記の調査結果に限って言えば、道行く人の屋外でのマスク着用が
8割以上に上る異常な光景のなかで、それどころか気温が下がって
きたからか、再びマスク着用率が上がっているという信じ難い状況
のなかで、私はこれを日本人の衛生観念の高さなどで捉えるのではなく、
「同調(みんなと一緒じゃなきゃイヤ)」
あるいは
「匿顔(自分の外見や内面までも不特定多数に知られるのはイヤ)」
という文脈を中心に考えるべきだと思う。
なぜならそれこそが、
昨今の日本人が抱える生きづらさや、精神面の問題解決の手掛かり
になると思うからだ。
「同調」については既に2年前、
同志社大学心理学部の研究グループが
「マスク着用は感染予防というより同調のため」
とする調査結果を公表しているが、
2週間ほど前のNHK 街頭インタビューでも
「半分くらいマスクを外すまでしている」という
発言があった。
結局、この悪しき「同調圧力」から
離脱できないのが日本人だ。
■日本人とマスク(2)「匿顔」による逃げを好む
「匿顔」という言葉は、インターネットを介した
コミュニケーションによって、
名前はもちろん顔まで隠せる状況を
1995年ごろに原島 博氏が命名したものだ。
この「顔を隠したい」という心理に関わる
2015年の筑波大学大学院生による
“伊達マスク(衛生上の理由ではないマスク着用)”を扱った研究論文がある。
そこでは女性は「すっぴんによる外出や、目元メイクのみによる
外出が可能になり、小顔になる」
など外見に関わる動機が、
男性は「自尊感情の低い男性が自信のない
自分を隠す」というネガティブな動機が
指摘されているが、この場合の女性たちの動機は
美容的なメリットで、ある意味納得がいく。
一方、「自信のない自分を隠す」という動機は
多分に精神面の問題を浮かび上がらせるが、
別に男性に限ったことではないはずだ。
■“伊達マスク”の先にある日本人の精神病理
感染とは関係なく
既に過剰なマスク着用が問題になり始めていた頃の
2015年7月29日の「繊研新聞」では、
顔を隠すという意味で「匿顔」と同じ動機につながる
女性の「前髪」を取り上げ、
前髪率の高いアジア諸国は女性の役員比率が低く、
前髪を出す文化の国ほど女性の役員比率が
高くなるという調査結果を紹介している。
ちなみに前髪率が最も高いのが、日本人女性だ。
つまり、前髪で“顔を隠す”という行為が、
女性の社会進出と何らかの関係があるとする
結果なのだが、
これは“顔を隠す”マスクと無関係とは言えない。
*
諸外国(韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・
スウェーデン)と比べて13歳から29歳までの
日本人の若者は、
↓
□自己を肯定的に捉えている者の割合が最も低く、
□自分には長所があると思っている割合が最も低く、
□職場の満足度が最も低く、
□うまくいくかわからないことに対し
意欲的に取り組むという意識が最も低く
□40歳で幸せになっていると考える割合が最も低く、
□自分の将来に明るい希望を持っている割合が最も低く、
□悲しい、ゆううつだと感じている者の割合は、最も高い。
※「平成25年(2013年)度 我が国と諸外国の若者の意識に関する調査
(内閣府)」より
◎自尊感情の低さから、自信のない自分を隠すという動機が
そのまま“伊達マスク”に直結するとは言えないが、
この調査で明らかにされた若者の陰鬱な意識から
厭世的になっていることを想像するのはたやすい。
マスクを外すより、マスクで社会を遮断したくなっても
不思議ではない。
◎ただでさえ自分から意見を言うことが下手で、
表情の変化に欠けると指摘される
日本人にとっては、自分を表出するより隠ぺいする方が
心地よいはずだ。
マスクを外すより、マスクで社会の目から隠れる行動に出ても
不思議でばない。
極私的調査で8割以上の人がマスクをしているという
環境下で、マスクを外して歩く私のような人間は目立つし、
容赦ない視線を向けられる。
■直近で今週、東京・銀座の8丁目~4丁目交差点まで歩いて、
何百名という人とすれ違ったが、外国人(らしき人)が7名のみ
ノーマスクで、日本人(と思われる外見の人)では一名もマスクなしの
人を見なかった。■
マスクを外すより、マスクをして同調する方がラクと思っても
不思議ではない。