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一度転落すると二度とはい上がれない。

そう思ってしまうのが
若者共通の“生きづらさ”だと
土井隆義・筑波大教授は語った
(先日の『日本経済新聞』朝刊)。

昨今の(自殺の道連れをつくるために殺害する)
“拡大自殺”の原因を、
その“生きづらさ”を誰とも共有できない
孤独な状況に求めていた。
分析は自由だが、
では、なぜそんな人間を生んだのか
という問いも答えもない。

事件が起きれば「心の闇」など、
当たり障りのない言葉を並べるのみで、
マスメディアの視線の先にあるのは、
スポンサーの顔だけではないかと思ってしまう。

未来のおぼつかない日本で

もちろん私だって、その“生きづらさ”
なるものの原因は分からない。
ただ、普通に気になるのは、
いまだに高学歴幻想の下で
学習塾に子どもを通わせ
プレッシャーをかけ続ける価値観であり、
コストパフォーマンスを偏重する
若者を増産し続ける教育システムだ。

いずれも心からゆとりを奪い、
失敗することを恐れる傾向を強め、
はい上がる力を弱める、
可能性が高い。
勤務環境の激変も当然あるはずだが、
とてもその真実を把握する力はない。
そして、
ここで言う“生きづらさ”の前では、
恐らく
「そもそも人生とは生きづらいものでは?」
という問いは伝わらないのでは、
と想像してしまう。

日本の未来に山積みになった諸問題は、
生きるのが嫌になるほど深刻だが、

それにしても、

この“生きづらさ”という言葉は、気持ちが悪い。
もう、悲劇は見たくない、のに。


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