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自分に“ダメ出し”をしてくれる自分。

「読者だった自分がここにいる」

漫画のアイデアは、一つのシーンで3案作ると言ったのは
「ガラスの仮面」の美内すずえさん(2月9日の『SWITCHインタビュー
 達人達(たち)』)。
その美内さんが語ったこの見出しの言葉は、ちょっとロマンチックだが、
ここ=胸の内にある「自分」が、「そのアイデアは面白くないよ」と
ダメ出しをしてくれる
、というのである。そんなときは、
いま書いている瞬間の美内さん自身もワクワクしないのだとか。

コピーは「ダメ出し」の連続だ

コピーライターは、常に評価に晒され続ける。広告料を出すクライアントが満足する広告文であることが前提なので、その思いに合致しない場合は、
常に考え直す作業が発生する。私も30年以上、クライアントに、
ディレクターに、この「ダメ出し」を含めて評価され続けてきた。

尊敬する糸井重里さんも、その著書「ほぼ日刊イトイ新聞の本」第一章「ぼくが『ほぼ日』をはじめた理由」で、次のように語っている。

「自分でイニシアチブを握って行う仕事には、真の喜びや楽しさがある。
実現させるための労力を惜しまないだけ、これ以上はないというくらいの
達成感が味わえる。
メディアや広告のスポンサーのご機嫌みたいなもので左右されるのでは
なく、堂々と対等に仕事ができる場をつくらなければ、
と感じるのはこうしたときだ。」

私はこれを読んで、あの糸井さんにして、広告の文章は思い通りに
書けなかったのかと納得した。つまり、それこそがコピーライターという
仕事なのだ。

ただ、批評され続けることによってコピーライターは、「ダメ出し」をしてくれる「自分」を育てる。「この分野の商品では、このフレーズは合わない」「どうも読みにくい、どうにかならないか」「いま一つ、インパクトを感じない」など、美内さんが語る「ダメ出し」と同じ胸の叫びを、
私も聞き続けてきた。
その“ダメ出しをしてくれる自分”の自己チェックを受けながら、自ら文章を修正し、でき上がったキャッチフレーズをさらに見直すのだが、恐らく
コピーライターの優秀さを決める基準の一つは、このダメ出しの厳しさを
いかに自らに強いるかではないかと思う。
私は、まだまだ甘い。

社会にとって必要な“ダメ出し”

しかし、コピーライターや漫画家だけでなく、何かを「作る」あるいは
「創る」仕事をされている皆さまは、例外なくこの“ダメ出しをしてくれる
自分”を持っている。しかも、大家と呼ばれる方々は、その厳しさが
常人を超える高みにあるのだ。

“ダメ出しをしてくれる自分”。
それは、考えてみれば対人関係や公共マナーなど、さまざまな分野で必要になる人間一般の機能ではないかと思う。
コピーを離れて言うと、最近の社会は、それがものすごく脆弱になっている気がする。

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