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清水寺恋詩 -四季が紡ぐふたりの物語-エピローグ:春、再び
春、再び
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修復を終えた清水寺の本堂が、春の日差しに輝いていた。境内には桜が満開で、一年前と同じように花びらが舞い散っている。ただし、今年は特別な賑わいがあった。
「本日の清水寺修復完成記念式典に、多くの方々にお越しいただき、ありがとうございます」
壇上で挨拶する彩乃の声が、参列者に届く。涼は後方で、その姿を見つめていた。
「伝統の技と現代の知恵を結び付け、この清水寺は新たな時を刻み始めます」
彩乃の言葉に、涼は思わず微笑んだ。一年前、この場所で二人は激しく対立していた。伝統と革新の狭間で、互いの価値観をぶつけ合った日々が、今は懐かしい。
式典が終わり、観光客が戻り始めた境内で、涼は足場が取り除かれた本堂を見上げていた。
「懐かしいでしょう?」
背後から声をかけてきたのは山本さんだった。
「ええ。あの時は、本当に未熟でした」
「いやいや、若い感性があったからこそ、良い仕事になったんですよ」
山本さんが去った後、真央が颯爽と現れた。
「終わった終わった!これで晴れて、また私のライブができるってことだよね?」
「まあ、橘さんの許可が必要だけど」
「もう、二人とも堅苦しいんだから。プライベートでも『橘さん』なの?」
真央の冗談に、涼は苦笑いを浮かべた。
「あ、彩乃ちゃんが呼んでるよ」
本堂の方を指差す真央の声に、涼は振り返った。彩乃が手を振っている。
「じゃ、私はこれから下見!次のライブは、もっと素敵なものにしないとね」
真央は軽やかに去っていった。涼は彩乃の元へと向かう。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます。素晴らしい式典でしたね」
二人は並んで、清水の舞台へと歩き始めた。桜の花びらが、二人の周りを舞っている。
「一年前、ここで初めて会いましたね」
「ええ。私、随分厳しいことを言いましたよね」
「いいえ、あれがあったから、今の僕たちがある」
舞台に立つと、京都の街並みが一望できた。遠くには新しいビルが建ち並び、近くには古い町家が並ぶ。その風景は、まるで二人の関係性を映し出しているようだった。
「彩乃さん」
涼は初めて、彼女の名を呼んだ。
「新しいプロジェクトの話が来ているんです。京都の町家を現代的にリノベーションする計画で」
「それで?」
「今度は、最初から一緒に」
彩乃は柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ。伝統を守りながら、新しい価値を作っていく。二人で見つけた、その答えを」
風が吹き、桜の花びらが舞い上がる。その中で、二人の手がそっと重なった。
「始めましょう」
「ええ。新しい物語を」
清水寺の鐘が、春の訪れを告げるように鳴り響く。本堂の軒先では風鈴が、新たな季節の音色を奏でていた。
そして桜は、今年も変わらず美しく咲き誇っていた。ただし、その花びらが照らす二人の姿は、確かに去年とは違っていた。
(終)
後日談:その後の二人 ー3年後の京都にてー
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京都の町家を改修したオフィスの一室で、涼は新しい設計図を広げていた。デスクの上には、『伝統と革新:京都建築の未来』という本が置かれている。著者欄には「蓮見涼・橘彩乃」の名前があった。
「りょう、企画書の確認お願いできる?」
ドアを開けて入ってきた彩乃は、結婚指輪を光らせながら資料を手渡した。二人は昨年、清水寺で挙式を済ませていた。山崎真央の祝福ライブが、境内に響き渡ったことは、今でも語り草になっている。
「ああ、町家ホテルの新案件だね」
「ええ。海外からの観光客にも、京都の伝統的な生活様式を体験してもらえるように」
涼と彩乃が設立した建築コンサルティング事務所「橋架(きょうか)」は、伝統建築の保存と活用を専門としていた。清水寺での実績が認められ、今では京都市内の重要な文化財の多くを手がけている。
「そういえば、真央から連絡があったよ」
「また新曲?」
「うん。『京都三年坂物語』っていう曲で、私たちのストーリーがモチーフになってるって」
二人は笑顔を交わした。真央は今や、日本の伝統と現代音楽を融合させたアーティストとして、国際的な評価を得ていた。
「晴人さんも、来月京都に来るって」
「ああ、シンガポールのプロジェクトの件で」
かつて涼が断ったシンガポールの案件は、思わぬ形で実を結んでいた。今では晴人を通じて、アジア各国の伝統建築の保存プロジェクトにアドバイザーとして関わっている。
「清水寺の定期点検も近いわね」
「ええ。今度は若手の建築技師に、私たちの経験を伝える番だね」
涼のデスクには、新しく入った若手技師からの質問メモが積まれていた。かつての自分のように、伝統と革新の間で悩む後輩たちだ。
「あ、紗枝から写真が送られてきたわ」
彩乃のスマートフォンには、カフェを拡張した紗枝からの写真が表示されている。古い町家を改装した店内には、観光客と地元の人々が入り混じっていた。
「私たちが最初に出会った場所も、少しずつ変わってきてるわね」
「でも、大切なものは守られている」
窓の外では、春の風が桜の花びらを運んでいく。清水寺の方角から、かすかに鐘の音が聞こえてきた。
「そうだ、今夜の約束、覚えてる?」
「もちろん。音羽の滝でしょう?」
二人には密かな楽しみがあった。毎月、満月の夜に清水寺を訪れ、音羽の滝に新しい願いを込めることだ。
「今夜は、新しいプロジェクトのことも、お願いしようか」
「未来の京都のために?」
「ええ。伝統を守りながら、新しい物語を紡ぎ続けていくために」
夕暮れ時の京都を見下ろす窓辺で、二人は優しく手を重ねた。机の上のカレンダーには、来月の欄に小さなマークが付いていた。二人の第一子の予定日だ。
新しい命を迎える準備も、伝統と革新の調和の中で、少しずつ進んでいた。
・・・続く