飛騨の鬼神 両面宿儺の伝説 概要編
最初に両面宿儺の伝説を浅めにwikipediaを参考にして、少し深掘りしていきます。
1,日本書紀に「両面宿儺」登場する。
「両面宿儺」は、日本の伝説や民話に登場する怪物(妖怪)の一種で、一つの体に人間と鬼の二つの顔を持つと言われています。通常、人間の顔は前に、鬼の顔は後ろに位置しているとされています。
両面宿儺の名前は「宿儺(すくな)」という古代インドの鬼神から来ていると考えられています。日本に伝わった際、この怪物は一つの体に二つの顔を持つ特異な姿として描かれるようになりました。
両面宿儺に関する具体的な伝説は多くないですが、一部では、人間の顔で人々を騙し、鬼の顔で恐怖を煽るといった話が伝えられています。
また、彼らはその二つの顔を使い分けて、人間を混乱させたり、恐怖心を煽ったりするとも言われています。
2,岐阜県の在地伝承
2-1 金山の伝承
飛騨の豪族、両面宿儺が武振熊命に討たれる前の行動について『金山町誌』には二つの話が存在します。
一つ目の話では、両面宿儺が金山の鎮守山で37日間過ごし、その後、津保の高沢山に移動し、ここで敗北、死亡したとされています。
しかしながら、別の話では、両面宿儺が出波平から金山の小山に移動し、37日間、大陀羅尼を唱えながら平和と豊かな収穫を願い、その後、高沢山に向かったと記述されています。
そして、この小山は鎮守山と称され、観音堂が建てられ、村人により祀られるようになったとされています。
2-2 関市下之保の伝承
古代の飛騨国に異人が存在し、その者が高沢山の毒龍を鎮めたという伝承が大日山日龍峰寺に伝わっている。
後に行基によって寺が建立され、千手観音が祀られた。その異人が使った杖から千本桧が生えたとも言われている。
異人は観音の化身になったとも伝えられている。
日龍峰寺の創立者は「両面四手上人」と記されている。
また、飛騨地方には両面宿儺を退治したとされる武振熊命の由来を持つ八幡社が点在している。
2-3 関市肥田瀬の伝承
金龍山 暁堂寺 この寺の創建は古く平安時代にまで遡ることができます。
開創時は天台宗に属し、寺号を『円通寺』と称しました。
文永年間(一二六四年~一二七五年)に不慮の火災に遭い、ご本尊聖観世音菩薩のご本体をのぞく悉くを焼失したと伝えられております。
以来、ご本尊のみを安置する仮堂をつくり、ようやく雨露を凌いでおりましたが、宝永二年(一七〇五年)暁堂和尚が近郷の里人の寄進を募って堂宇を再建し、以後、寺名を『暁堂寺(庵)』と改め、曹洞宗の禅寺として今日に至っております。
安置するご本尊は、平安後期の作風をにじませる等身大、一木彫眼の聖観世音菩薩立像で、昭和四十五年には、関では最も古い佛像の一つとして市の重要文化財に指定されました。
仁徳天皇の御世、飛騨(斐太・肥田)の国八賀の里の異人『両面宿儺』(りょうめんすくな・両面僧都)がこの地に宿営し、一夜、夢枕にたった金龍のお告げにしたがって、五穀の豊穣と国土の安穏、住民の和楽を祈願しつつ彫り上げたもの。
ご尊容は大慈大悲の観音菩薩にふさわしく温和で慈愛に満ち、高邁な気品に溢れております。古来、この観音像は秘佛とされており、普段はかたく扉を閉ざして秘され、わずかに七年に一度の開扉会の期間中のみ、このご尊容を拝していただくこととなっております。
ご本尊 聖観世音菩薩立像 昭和四十五年十月二十一日 関市重要文化財指定(解説板)
2-4 丹生川の伝承
高山市の千光寺の縁起は、仁徳帝の時代に飛騨国に現れた宿儺という存在が創建したとされています。
宿儺は18丈の身長と両面四肘両脚を持つ救世観音の化身で、千光寺を開いた際に、石棺とともに法華経、袈裟、千手観音の像を発見しました。
同地域の善久寺も同じ宿儺の伝説と結びついており、また位山の鬼、七儺は宿儺が天皇の命令で退治したとされています。
位山近くの飛騨一宮水無神社には、「七難の頭髪」という神宝があり、これは鬼神七難が神威によって討たれたとの伝説が残されています。
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